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 最近の新聞に、現代の中国における不気味なできごとが掲載されていました。

 子供が川で溺れていて、泳げない家族の者が「誰か助けてやってくれ」と群衆に訴えたところ、「いくら報酬金をくれるか」という掛け引きになり、折り合いのつかぬうちに子供が死んでしまったという事件です。

 こういう記事を読むと「中国人はケシカラン!人情も何もない!」と言いがちですが、日本でだって結構あり得る話です。<溺れている>というような緊迫した状況ではありませんが、痴呆症になった老人の世話を誰がいくらでするかが調停で争われている現代の日本です。五十歩百歩ではないでしょうか。

 一方、インドでは栄養失調で死んでいく子供が、年間何千人だと言われています。すると、「インド人は気の毒だ。不幸せだ」と言います。しかし、本当に日本人の方が幸せと言えるのでしょうか?

 日本では暑い夏の日にもかかわらず、車の中に赤ちゃんを寝かせたまま親がパチンコに熱中して、戻ってきた頃には赤ちゃんは脱水症状で死んでいたという事件が、毎年のようにあります。飢えで死ぬ赤ちゃんと、どちらがましでしょうか?。飢えで死ぬにしても、インドの場合は両親が最後まで見守ってくれているのです。それに比べ、日本の場合には親は赤ちゃんのことなど忘れてパチンコに熱中しているのです。その点からすれば、私はインドの赤ちゃんの方がまだ幸せだと思います。

 しかし、人によっては日本の赤ちゃんは、おなか一杯食べさせてもらって満腹の状態であの世へ逝くのだから、日本の方が幸せだという人もいるでしょう。これは、何に重きを置くかという考え方の相違なのです。

 あるインド人が言いました。その人の父親が亡くなる前の半年間、その人は仕事を休んでずっと父親のそばにいて看護したそうです。しかし、その半年間にお医者さんは2度しか来てくれなかったそうです。日本ではどうでしょうか?。日本ならお医者さんは毎日診察してくれますが、息子は半年に2度しか見舞いに来ないというケースがあります。

 いや、もっとひどい例もあります。私の知人にもう長く看護婦をしている人があるのですが、お医者さんが「危篤状態だからすぐに来るように家族に連絡して」というので電話をしたら、息子が「死んでから電話をくれ。遺体は引き取りに行くから」といった家があるそうです。そういう人には「恩」とか「感謝」といった感覚が無いのだと思います。

 ともあれ、先ほどの半年間に医者には2度しか診てもらえなかったけれども、ずっと息子がそばにいて看護してくれたインド人と、半年間に毎日医者には診てもらったけれども息子は2度しか来ない日本人と、どちらが幸せでしょうか?。言うまでもありません。

 しかし、このことをある席で話した時、後で私に

 「いやぁ、本当にインド人というのは不幸ですね!」

 と言った人がいます。その人が言うのには、そのインド人の父親がちゃんと医者に診てもらえたならば、あと1年〜2年生きられたかもしれないのに、満足な治療も受けられずに6ケ月で死んでいくなんて、かわいそうだ。やはり日本のような高度の医療の充実を図らなくてはならない、と言うのです。私はそういう意味で言ったのではないのですが…。
 でも、これは考え方の問題です。いったい、何を尺度に幸福を測るかという物差しの問題なのです。しかし、「幸福になりたい」という願いは、万民が共有するものです。

 私たちは、「幸福とは何か?」を今一度考え直してみる必要があると思います。
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