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 持戒というのは、決まりを守ることです。「こうする」と決めたら、最後までそれを守ることなのです。これについては、詩人の尾崎喜八が75才の時に、45年間連れ添った妻に送った「妻に」という詩があります。妻が夫にお茶を入れるという、ほんの日常の小さな行為、この決まりを守ってくれることが、愛情を育んでいくのです。
 晩(おそ)い午後のひとときを、私がなおも机に向かって
 ペンを手に一篇の文章と闘っている時、
 お前は音もなくこの部屋へ入って来て
 静かに憩いと慰めの茶を置いて去る。

 四十幾年の生活を倦(う)みもせずにいそしんで
 お前が常に私の傍に在ったということ、
 遠く人生の大河を共にくだった私たちの小舟で
 お前がいつも賢い梶取りであったということ、
 それはお前が私にとっての守護の天使、
 この家と家族にとっての守護の霊だということだ。
 そしてそのお前への深い信頼の中心に
 私は安んじて生の錘(おもり)を降ろしてきた。

 人々への善意と、自分自身への厳しさと、
 撓(たわ)むことのない忍耐力とは、お前にあっての三つの徳。
 私のたまたまの我執(がしゅう)の闇を明るく優しく照らすために
 お前は静かに愛と警告の灯(ひ)を置いて去る。
 心が潤っているのでしょう。こんなふうに、御主人にお茶をいれたことがありますか?おそらく、無いでしょう。でも、それは奥さんが悪るいんではなくて、御主人が悪いのです。お茶をいれてもらえない理由があるのです。遅くまで、ペンを片手に一篇の文章と闘わずに、グラスを片手に野球を見ているだけなのですから……。
 昔の女性は「さしすせそ」型でした。「さしすせそ」とは台所の調味料で、砂糖・塩・酢・醤油・味噌のことです。別説に、「裁縫上手で、しつけができていて、炊事・洗濯・掃除が得意」というのもありますが……。

 これを最近の若い女性に

 「<さしすせそ>の<さ>は?」
 と聞くと
 「酒」

 「<し>は?」
 と聞くと
 「焼酎」

 と答えるのです。何とも嘆かわしい限りです。

 一方、奥さん方も負けてはいません。うちの主人は「がぎぐげご」型だの、「あいうえお」型だのと言います。ちなみに「がぎぐげご」型というのは「頑固で、義理堅く、愚痴っぽくて、下品で、強情」であり、「あいうえお」型というのは「愛が無く、威張っていて、嘘つきで、エッチで、横暴」なのだそうです。
 持戒とは、サンスクリット語の sila(シーラ) の訳で、習慣性という意味です。毎日、顔を洗う習慣を身につけた人が、ある日は顔を洗えなかったら気持ちが悪くなるように、殺生をしない、嘘をつかないという誓いをたてて守っていた人が、たまたま生物を殺したり、嘘をついたりすれば、気持ちが悪くなります。ましてや邪淫(じゃいん)に走ったり、盗みをすれば、とても平常心ではいられなくなります。これが習慣性というものです。良い習慣性をつけることが大切なのです。

 仏教には五戒があります。
 この五戒が仏教の基本的な【戒】です。【戒】は戒めであり、それを破ったからといって、罰が与えられるわけではありません。ただ、この五つを守るように努めることを、求めているのです。

 しかし、人間というものは弱いものです。一所懸命にやろうとしても、時には疲れてしまったり、誘惑に負けてしまったりします。そして、【戒】を破ってしまった場合には心から懺悔し、再び戒を受ければいいのです。言うなれば、ちょっと「タンマ」して出直せば良いのです。何度失敗しても、そのたび深く懺悔し、再び勇気を出して【戒】を受けて、前へ進めば良いのです。

 ある酒好きの男が、自分の部屋の壁に「禁酒」と書いた板をぶら下げました。友人たちは「彼に禁酒ができるはずがない」「三日坊主に決まっているさ」と、誰一人として彼の禁酒宣言を信ずる者はいませんでした。

 彼が「禁酒」の板をぶら下げたその夜、ためしに友人の一人が彼を誘いました。

 「おい、<すし豊>へ飲みに行かないか」

 その日は初日です。だから、その日ぐらいは彼は断わるだろうと思っていました。ところが、彼は

 「うん、行こう」

 と、意外な返事をしました。そして「禁酒」と書いた板を、くるりと裏返して部屋を出ました。その裏返しにされた板をみると、そこには

 「臨時休業」

 と書かれていました。飲み屋から帰って来れば、その板は再び禁酒に戻されます。

 この「臨時休業」こそ、前出の「タイム」にあたるわけです。

 私たちは【戒】を守ろうとしても、なかなか完全には守りきることのできない弱い存在なのです。

 つい、あやまちを犯してしまいます。しかし、大切なのはそこからです。そこで、しっかりと懺悔して、再び【戒】を守ろうと誓うことです。何度失敗しても、それでも仏教徒として生きようとする姿勢が大切なのです。
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