「三人寄れば文殊の知恵」と言います。古来「智慧の文殊に行の普賢」と言って、文殊菩薩は「智慧」を司る菩薩であるとされています。厳密に言うと、ここでいう「智慧」と世間でいう「知恵」とは異なるのですが、ここではその件には触れず、ただ単にこの言葉は「人間が3人よって知恵をしぼると文殊菩薩のような素晴らしい智慧が出る」という意味だと御理解下さい。
しかし、その3人が女性ばかりだとどうなるでしょうか。さぞや、うるさいだろうと思います。だって、女が3人だと<姦>という字になります。これは<姦(かしま)しい>と読んで<やかましい><騒々しい>の意です。ゆえに、「女3人寄れば姦しい」と言います。
では、女4人になるとどうでしょうか?。おそらく<姦しい>を越えて<けたたましい>のではないでしょうか?。(ゴメンナサイ!)でも、その<けたたましい>家族がイスラム教の家族です。イスラム教では周知のように4人まで妻帯を許しています。羨ましいというよりは何となく、ぞっとします。
イスラム教で4人まで妻帯が認められているのには、歴史的背景があります。イスラム教の初期に異教徒との戦争があって、多くの男性が戦死しました。そのため、母子家庭ばかりができてしまい、砂漠の中では生きていくのが困難だった為、『コーラン』は積極的に未亡人との結婚を勧めたのです。つまり、イスラム教の4人妻は男性本位の考え方からできたものではないのです。
そして最も重要な点は、『コーラン』は複数の妻を【公平に扱う】ように命じています。【公平に扱う】ことのできない男には、複数の妻を持つ資格はないと明言しています。
例えば、第1夫人に1000万円のダイヤモンドを買ってやると第2夫人にも第3夫人にも第4夫人にも買ってやらねばなりません。セーブルのコートを第3夫人に買ってやると他の3夫人にも買ってやらねばなりません。よほど資産家でなければやれません。
「大丈夫、私は3万円の指輪でごまかす」と言う人は、かなりおめでたい人種です。3万円の指輪で(それだって、結局は12万円になるのですが…)女性が満足すると思っていたら大間違いです。 女性のこわさを知らないのです。(失礼!)
そのためか現代のイスラム教徒は大抵が妻は1人です。彼らは異口同音に答えるそうです。
「私は1人でたくさんです」
その気持ち、お察し申し上げます。
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