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『修証義(しゅしょうぎ)』は、日本における曹洞宗の開祖・道元禅師の著作『正法眼蔵』の中から、特に在家信徒への布教を念頭において重要な点を抜粋して、全五章三十一節にまとめたものです。

『修証義』の中に(現代語に訳すと)
たとえ百年の間、欲望の奴隷となって走り回ってきたとしても、その中のたった一日でもよいから、仏の教えに従い悟りへの道を進むことができたら、これまでの百年間の無駄を取り返すだけでなく、生まれ変わった後の百年も、教えの恵みに浴することができるのです。----この一日の命は、またとない命です----
とあります。

現代の日本に生きる人々は、あまりにも忙しく心にゆとりが無く、時間に追われる生活を強いられいます。先日、大阪の梅田駅で乗り換える際、動く歩道の上を歩いていましたら、通勤途上の会社員の方々が脇を駆け抜けて行きました。毎日そうしているのか慣れておられて、動く歩道の終点でつんのめることも無く、どこかへ消えて行きました。新幹線の駅構内のエスカレーターにしても同じで、立っている人の横を駆け抜けて行きます。
(ただ、急ぎでない人がエスカレーターのどちら側に立つかは関東と関西は逆ですが--)

若い時は体力もあり、あわただしい生活にもなんとかついて行けますが、年齢を重ねるごとに世間との関わりも増え、生活が忙しくなります。社会的、肉体的、精神的、経済的にも追われて疲れていきます。その上、若年の時には考えもしなかった病気や事故、天災、肉親との死別など幾多の苦しみ悲しみが負いかぶさり、生きる力がなくなっていきます。

しかし、実はこの時こそが自分の生き方を考える絶好機なのです。「人間はいかように生きるべきなのか?」この大問題について深く考えるようになった時、今生きている自分の姿も見えてきます。
「時代だから仕方がない」というのは、逃げ腰でしかありません。

高浜虚子の句集に『六百五十句』というのがあります。この中に
霧 いかに濃ゆくとも 嵐 強くとも
というのがあります。たった十七音の俳句ですが、霧の中でも嵐の中でも、一歩一歩確実に前進して行くのだ、という決意が汲み取れます。また、
一時は たとひ暑さに あヘぐとも
というのもあります。実際、幾度となく猛暑に倒れることがあろうとも、それがいつまでも続くわけではないのですから、何度も立ち上がらせてくれる勇気をくれるものです。
炎天に そよぎをる 彼の一樹かな
というのもあります。炎天下を歩いていくと、遥か前方に大きな樹が横に張り出した枝を風に揺らしながら「あと少し頑張りな。ここまで来れば涼しいよ」と導いてくれたというのです。

この自分を導いてくれた一本の樹は、「仏」であり、「法」なのです。「たった一日でもよいから仏の教えに従い悟りへの道を進むことができたら云々」という一節は、日々の私を励まし続けてくれています。自分の命があとどれだけあるのかはわかりませんが、一日一日を《凛凛と生きる》ことを努めたいものです。
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