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君子は文(ぶん)を以って友を会(かい)し、友を以って仁(じん)を輔(たす)く。

これは孔子の弟子である曽子(そうし)の言葉です。君子は、学ぶために友人を集め、一緒に学ぶことによってお互いの仁を磨くことができる、というのです。仁とは、親愛のもとに生じる一切の徳の中心となる美徳のことで、思いやりの心・優しさ・誠実さのことです。

一緒に学ぼう、と声をかけてみんなを集め、集まった仲間と話し合いながら教えあい、時には意見を戦わせながら学んでいけたら、そこはすばらしい空間になる、ということなのです。これは学問だけでなく、スポーツや習い事も同じです。助け合い、競い合う相手がいるからこそ、自分も成長できるのです。

昭和の大横綱と言われた大鵬幸喜(1940〜2013)は、自分と同時に横綱に昇進し「柏鵬時代」といわれたライバル柏戸が逝去した時、「柏戸がいたから、大鵬がいた」との名言を残しました。切瑳琢磨することによって、肉体的にも精神的にもお互いを高めることができるのです。

曽子が素晴らしいのは、「友を以って 仁(じん)を輔(たす)く」と言ったところです。みんなで学ぶということは、ただ単に共に成長できるだけではなく、お互いの仁が磨かれていくのだ、と言うのです。孔子は、どんなに優秀でも仁の無い人になってはいけない、と度々弟子に語っています。その孔子の教えを、しっかり実践していた曽子だからこそ、言えた言葉でしょう。

孔子の門弟たちは、年齢も境遇(きょうぐう)もさまざまだったようですから、一回で孔子の教えを理解できる者もいれば、孔子の教えをじっくり反芻(はんすう)しながら理解を深めていく者、まだまだ理解するところまでいっていない者、いろいろです。その人の年齢や過去の生活体験、性格・得手不得手(えてふえて)など、皆それぞれ異なります。理解できずに躓(つまず)いている人には、自分の手を止めて教えてあげたり、手伝ってあげるのが友達です。自分さえ良ければいいという考え方では、仁は育まれません。孔子は、自分一人で進むべき道を探究し深めていくことと同時に、友達と一緒に学ぶことも大事だ、と説いています。

孔子の教えには、次のようなものもあります。

益者三友(えきしゃさんゆう)、損者三友(そんしゃさんゆう)。直きを友とし、諒(まこと)を友とし、多聞(たぶん)を友とするは益なり。
便辟(べんぺき)を友とし、善柔(ぜんじゅう)を友とし、便佞(べんねい)を友とするは損なり。

孔子は、良い友に三種類、悪い友に三種類あると諭(さと)しています。正直な人、誠実な人、知識の豊かな人を友とするのは有益だが、こびへつらって他人の機嫌をとる人、顔つきは穏やかだが誠意の無い人、口先がうまくて心に誠が無い人を友とするのは損なことだ、と説いています。

益と損という表現をしているので違和感があるかと思いますが、要するに友は選ばなくてはならない、というのです。もちろん、良い友人と悪い友人はこの三種類だけではありませんが、良き友人と出会えるかどうかは、自分次第です。友人は自分自身の鏡です。昔から<朱に交われば赤くなる>と言われるように、人は付き合う友によって良くも悪くもなるものです。だから、友は選ばなくてはならないのです。

また、孔子は次のようにも説いています。

益者三楽(えきしゃさんらく)、損者三楽(そんしゃさんらく)。礼楽(れいがく)を節せんことを楽しみ、人の善を道うことを楽しみ、賢友多きを楽しむは益なり。驕楽(きょうらく)を楽しみ、佚遊(いつゆう)を楽しみ、宴楽(えんらく)を楽しむは損なり。

有益な楽しみが三つ。ためにならない楽しみが三つある、と言うのです。礼節と音楽を楽しみ心豊かに生きること、他人の善い行いを話題にすること、賢い友人が多いことは有益な楽しみだが、わがままに楽しんでキリが無いこと、気ままに遊んで怠けること、酒盛りに耽(ふけ)ることは害になるだけだ、と言うのです。

人生の楽しみを益と損に分けて、三種類ずつあげています。有意義な楽しみの中に他人の善行を話題にして喜ぶというのがありますが、これは大切なことなのです。他人の素晴らしい行いを褒めるというのは、聞いてる方も清々しい気持ちになれますが、悪口雑言(あっこんぞうごん)を聞かされても返事にすら困ってしまいます。また、賢友とは知識や教養だけでなく、あるべきようをわきまえた人を指すのですから、学ぶべきことは多大です。

人間は誰も、ただ一つの人生しか生きられません。やり直しは出来ないのですから良き人物の傍(かたわら)で良い影響を受けることはとても重要なのです。
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