原始仏教経典の中に、次のような例話があります。
ある時、徒歩で旅していた人が大きな河にさしかかり、向こうに渡りたいのですが橋が無く困っていました。幸い、河岸に丸太があったので、それで筏を作り、無事に向こう岸に渡ることができました。向こう岸に着いてからも、旅人が筏を担いでいるのを通行人が見て、「君は、どうしてそんなものを担いでいるのかね。筏なんぞ、用が済んだら河岸に置いておくものだ」と、忠告しました。間抜けな旅人はハッと気づき、「それはそうだ」と言って、置きに戻ったといいます。 『中部経典・蛇喩経』
ここでいう「筏」とは、この世で生きる為の手段としての財産や名誉などを指しているのであり、そうしたものは、確かにあった方が便利かも知れないが、あの世にまで持って行くことはできないものです。にもかかわらず、多くの人は離すまいとしてしがみつき、人を押しのけてまでそれらを得ようと欲をかきます。
ある大企業の社長は、
「かつては土地や株を買い占めて大金持ちになることが生来の夢であり、ある程度は実現できたが、この歳になってみると、自分が死んだ際には財産税や相続税でガッポリ取られ、かえって子供たちの遺産相続の争いの種を撒くようなものだと気づいたよ」
と、話していました。財産などは、世間で役立つものに使わなければ、かえって宝の持ち腐れで、泥棒に狙われるのではないかと夜も眠れず、病魔に襲われて胃酸過多になることでしょう。
明治初期に、原 坦山(1819〜1892)という禅僧がおりました。
彼がまだ若かりし頃、久我環渓(1817〜1884)と連れだって諸国を行脚していた際に、にわか雨で増水した川を渡りかねて困っている美しい娘に出くわしました。その時、坦山はつかつかと娘に歩み寄り、
「娘さん、人助けは出家の役目、わしが渡して進ぜるゆえに、わしの肩にしっかりつかまりなされ」
と言うやいなや、娘を抱えてすたすたと川を渡って行きました。
びっくりしたのは、連れの環渓です。<修行の身でありながら、こともあろうに若い娘を抱きかかえるとは、けしからん>と腹を立て、ものの五〜六丁も来た頃、我慢しきれなくなって坦山に
「貴公は実にけしからん。修行の身でありながら、若い娘を抱えるとは何事だ」
と言うと、坦山は
「いやはや、こいつは驚いた。わしはもうとっくにあの娘のことなど忘れておったのに、貴公はまだ覚えておったのか。貴公も案外色好みじゃのう」
と肩を叩いたので、環渓は返す言葉も無く恥じ入ったとのことです。
仏教では、何物にも捉われることの無い、自由無礙の境地を「空」と言います。禅語に「無一物中無尽蔵」とあるように、たとえば器に何かが入っている状態では、他のものを入れることはできませんが、器を空にしておけば何でも入れられるのと同じです。つまり、それは単なる<空っぽ>なんでは無く、受け入れる余地があるということであり、このことを澤木興道師は「握ったら限りがある」と表現しています。言い換えれば、手に何も握っていなければ、何でも握れるということなのです。
今日の日本は高齢化が進行し、孤独な生活を送るお年寄りが増えてしまいました。そこで問題になるのは、どうしたら幸せな老後を送れるかです。
詩人の天牛将富は、次のような詩を詠んでいます。
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