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大平光代という、背中に観音さまの龍の入れ墨をした女性弁護士がいます。なぜ背中に入れ墨をしているのかというと、そもそもは幼い頃のいじめが原因となり、巡りめぐってそうなってしまったのだそうです。

彼女は、中学1年の時に家庭の事情で転校したのですが、そこで陰湿な苛めを受けて登校拒否になりました。中学2年の時には、親友に裏切られて笑い者にされたショックから、割腹自殺まで図ってしまいます。家庭の中に温かみを感じられなかった彼女は、それからは坂道を転げ落ちるように非行に走り、ついには16才で極道の組長の妻になってしまいます。

組長の妻とはいっても、40代・50代の大人の中で、16才の小娘が姐さん面してて認められる訳がありません。あからさまに嫌みを言われても、自分の居場所が欲しかった彼女は、自分の根性を見せるために入れ墨を彫る決意をします。

ところが、入れ墨を彫るのは半端な痛みではありません。割箸大の棒の先に針を束ねたものが付いており、それを肌を削るように刺し込むのですが、一種の火傷ですから高熱が出るし、切り刻まれるような痛みを伴います。それを歯をくいしばって耐えるのですから、歯の噛み合わせは悪くなるわ、胃潰瘍になるわで大変なのですが、「やっぱりガキや、ケツ割りよったわ」と、言われたくなかった彼女は、必死でそれに耐えました。そして彫り込んだのが、観音さまに蛇の図柄の入れ墨です。

しかし、そこまでしても、自分の居場所は悪の世界にはありませんでした。人間のあらゆる汚さを見てきた彼女は、身も心もボロボロになり、何もかも嫌気がさして離婚してしまいます。

その後、22才の時、北新地のクラブでホステスをしていた時に、偶然にも父の友人の大平浩三郎さんと再会します。大平さんは、取引先の接待の為に6人で訪れたのですが、一目で

「みっちゃんやろ」

と、見抜きました。そして、大平さんはそれから時々会うたび、彼女に

「根の無い竹や割り箸にまで、所かまわずツルを巻く朝顔になったらあかん。同じツル巻くんやったら、しっかり根のある物に巻いたらどうや?」

と、諭しました。

ある日、喫茶店でコーヒーを飲みながら大平さんがいつものように、いろんな話をしてくれている時、彼女はつい

「今さら、立ち直れって、なに寝言言うてんねん。口先だけで説教するんはやめてくれ。そないに立ち直れ言うんやったら、私を中学生の頃に戻してくれ!」

と、叫んでしまいます。それを聞いた大平さんは、

「たしかに、あんたが道を踏みはずしたんは、あんただけのせいやないとは思う。親も周囲も悪かったやろう。でもな、いつまでも立ち直ろうとせぇへんのは、あんたのせいやで。甘えなや!」

と、すさまじい迫力で叱りました。

普段は温厚な大平さんのド迫力に、彼女は落雷にあったかのような強烈な衝撃を覚えました。そして、《やっと、自分と真剣に向き合ってくれる人と会えた》ことがうれしく、泣き崩れました。《もう一度、人を信じてみよう》と思い、ここから彼女のチャレンジが始まります。

しかし、現実は厳しく、中卒では就職することすらも難しい時代でした。求人誌を見て履歴書を送っても、面接すらしてもらえない、電話をしても面接するだけ無駄と言われ、《資格を取らねば!》と決意します。

彼女はまず、宅建の資格の取得を目指しました。これは、宅地建物取引主任者という名の通り、宅地や建物の取引条件などを説明し、売買・仲介・斡旋をする宅地建物取引の専門家になるための資格です。

情報を得るには本しか無く、基本書を購入してはみたものの、読めない語句が多く、その都度漢和辞典を引かねばならないので、膨大な時間を要しました。何度もくじけそうになりながらも、大平さんのアドバイスもあって、昭和63年の10月、彼女は宅建試験に一発で合格しました。

次に彼女は、司法書士の資格を取ろうとしました。司法書士というのは、いわゆる登記業務の専門家です。民法は宅建の時に勉強したので、同じ路線で行けると思っていたらしいのですが、とんだ勘違いで1回目の試験には落ちてしまいます。しかし、発奮した彼女は翌平成2年には合格しました。

さらに彼女は、最難関と言われる司法試験に合格するため、平成4年4月、26才の時に大学の通信教育部法学部に入学し、平成6年に司法試験に合格しました。平成7年4月、29才の時に司法修習生として採用され、2年間の司法修習が終わりに近づいた平成9年3月、彼女は両親の勧めで、弁護士になるのと同時に、大平さんの養女になりました。

平成10年の2月に彼女の父が癌で亡くなり、その後しばらくして母と同居するようになった頃、読売テレビからドキュメンタリー番組出演の依頼が来ました。彼女はものすごく悩んだそうです。黙っていれば、弁護士としてある程度の生活は保障されるし、平穏に暮らすこともできる、今さら過去のことをほじくり出されたくない、どれもこれも蓋をしてしまいたい事ばかり、そう思っていました。

悩んだ彼女が母に相談すると、彼女の母は

「テレビで放映されることで、今にでも自殺しようと思っている子供たちが思いとどまってくれたり、不幸にして道を踏み外してしまっている子供たちが、自分もやる気になったらできるんやと思って頑張ってくれたら、それでええんちゃう」

と答えました。結局、この言葉で出演することを決めたそうです。

その後、講談社から出版の依頼を受け、『だから、あなたも生きぬいて』という本が出版され、大ベストセラーとなりました。彼女はこの本の中で、

「もし、あなたが今すぐにでも死んでしまいたいと思っていても、絶対に自殺はしないでほしい。死んでも地獄、運良く助かっても立ち直るまでは地獄。あなたの今現在の苦しみや悲しみは永遠のものではなく、いつかきっと解決する。どうか、前向きに生きていってほしい。
もし、あなたが今すぐにでも道を踏み外してしまいそうなら、思いとどまってほしい。家庭や学校や世間に対する怒りや不満を、道を踏み外すことで解消しようとしても、それは全部自分に跳ね返ってくる。自分がしたいことの何倍にもなって……。どうか周りの人の言うことを素直に聞いて、自分の人生も他人の人生も大切にしてほしい。
もし、あなたがすでに道を踏み外してしまっていると言うのなら、今からでも遅くはない。もう一度人生をやり直してほしい。この先、幾多の苦難があるかも知れないが、あなたはそれに耐えられるだけの力を備えているはず。あなたはこれまで随分と辛い目に遭ってきたのだから。一つ一つ困難を乗り越えて、その手に幸せをつかんでほしい。諦めたら、あかん!」

と、訴えています。

過去を消すことはできません。どんなに辛い過去があろうとも、それに背を向けるのではなく、正面から向き合って、過去の辛さを踏み台にして今を前向きに生きることが大切なのです。

参考文献
『だから、あなたも生きぬいて』 大平光代 著  講談社文庫
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