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坂村真民(1909~2006)は、熊本県玉名郡府本村(現在の荒尾市)に五人兄弟の長男として生まれました。本名は昂、彼が八才の時に父親が急逝し、ひ弱で受験は失敗するし、プライドとコンプレックスの塊の貧しい生活でしたが、一所懸命に母を支えました。

三重県伊勢市の神宮皇學館(現在の皇學館大学)卒業後、熊本で教員となり、その後朝鮮に渡って高等女学校、師範学校の教師になりました。終戦後、愛媛県に移住し、高校の国語教師を勤めながら試作に励みました。

彼が四十ー才の時、宇和島市の県立吉田高校に勤めていた際、吉田の妙心寺派の寺院である大乗寺で禅僧・歌人である山下照山師と出会い、それを機に大乗寺専門道場の師家である河野宗寛老師の下で参禅するようになりました。真民が参禅するようになったのは「本当の自分とは何なのか?。どう生きるべきなのか?」という根本的命題の中で詩心を堅固にする為でした。幼くして父を亡くし、更に長女の死産を経験したことから、詩を作ることによって人間らしい道を歩みたい決心していた彼にとって避けては通れないものでした。

一年一冊の個人詩集「ペルソナ」の刊行を発願したのもこの頃です。それ以来、詩と禅との激しい戦いが始まり、故郷の阿蘇山の火柱のような求道の詩生活は、半ば盲目になるまで続けられ、その間十年の歳月で十冊の詩集が生みだされました。

その時のことを真民は、
「私は縁あって、愛媛県の大乗寺という禅宗の禅堂で、禅に参じ仏縁を結んだのであるが、大きな乗り物に乗って己を任せて生きてゆく喜びの眼が開け、世界が変わった。一寸先は闇だったものが、一寸先は光となった。二度とない人生を意義あらしめ、自分は自分なりにどんなに小さくてもいい、自分の花を咲かせて世を終わりたい。希望と自覚とが生まれてきた」
と語っています。

彼の言う自覚とは何だったのでしょうか?。それは次の詩に表されています。

    生きるということ

生かされて生きるということは
任せきって生きるということであり
任せきって生きるということは
自分を無にして生きるということであり
自分を無にして生きるということは
自分の志す一筋の道に命をかけ
更には他の為に己の力を
傾け尽くすということである

「生かされて生きる」ということをはっきりと自覚した真民は、この頃よりそれまで発刊していた詩集「ペルソナー(パーソナルの語源)の題を『詩国』に改め、無償で全国の読者に向けて届けようと考えたのでした。これはまさに個から衆への転換でした。

そして真民は、自選詩集を一冊にまとめて出版しようと考えました。しかし、一介の教師にとって書籍の出版は、経済的にも時間的にもかなり厳しいものでした。しかし、彼は毎月の『詩国』の詩作・発刊と同時に詩の選抜を続け、ついに『自選坂村真民詩集』出版を実現させたのです。これについて真民の師である森信三(国民教育の師父)は、三つの点を讃えています。

一、彼の詩が深い大乗仏教的な信に基づいていること
二、現代人が陥っている深刻な苦悩に同悲・共感していること
三、個人詩集のすべてが点字訳されていること
以上の点から、真民の詩境は芸術的な詩作をする「詩壇」とは、一線を画していると評しています。

真民にとっては詩作をすること自体が、生きることそのものだったのです。

    *エリ・エリ・レマ・サバクタニ

死のうと思う日は無いが
生きてゆく力が無くなることがある
そんな時、大乗寺を訪ね
私は一人 仏陀の前に坐ってくる
力わき明日を思う心が出てくるまで
坐ってくる

彼にとっては、求道の中での苦闘の詩であったのです。

真民は晩年「毎暁、川原で地球に額をつけて祈る時、地球よ平安なれ、人類よ幸福なれとも光明真言を唱えているのであるが、夜 明けゆく空は実に荘厳である。そして思う、この大宇宙大和楽の実現こそ、大和民族の一大使命ではないかと」(『詩国」三六九号)と言っています。大和楽とは、全てものがお互いに打ち解けた喜びです。真民はそれこそが大宇宙の念願であり、私たちの使命であると得心していたのです。そして体調を崩すぎりぎりまで詩作を続け、祈りを捧げました。詩作と祈りは真民にとっての「修行」であると同時に、生かされて生きる不思議への感謝を捧げるものでもあったのです。

禅を通じて仏の叡智に目覚め、多くの人とのめぐり合わせに触れながら己の道を歩んだ彼の詩は、今も多くの人を救い愛されています。

*イエス・キリストが処刑される際に言った言葉(神よ、何ゆえに我を見捨てたもうや)へブライ語
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