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 釈尊(しゃくそん)は、「家庭」を「心と心が最も近く触れ合って住むところ」と定義しています。現代では、「家庭」を「夫婦・親子などの関係にある者が、生活を共にする小さな集団、またはその生活する所」と法律などで定義づけられています。
 ここで注目すべきは、家族が住むところを「庭」で表現しているところです。「庭」は自然の原野や山林と違い、草木の生長をそのまま放置するのではなく、常に手入れをしなくてはなりません。手入れの良く行き届いた「庭」は、見ただけでもすがすがしさを感じますが、手入れを怠った「庭」は、見るからにむさ苦しさを覚えます。
 「家庭」の場合、家族の一人一人が庭の草木に当たるわけです。大きな木は大きいなりに、小さい草は小さいなりにそれぞれ心を込めた栽培(植えて育てる)により、正しく美しく成長します。これに対し、自然の原野や山林の樹木の枝は、それぞれ自分勝手に伸びたい方へ伸びます。しだがって、木陰になってしまった小さな草は、陽の光を受けることができず、十二分には成長できません。小さな草も花が咲くように枝の伸びを抑え、つる草も木にからまぬように栽培すると、木も草も平等に育っていくのです。
 釈尊(しゃくそん)は、この事実を人間の「家庭」になぞらえて「人の心も、睦みあえば花園のように美しい」と讃えています。花園は、赤・白・黄・青など様々な色の花が、仲良く睦みあい互いにつつましやかに咲いているから、美しいのです。人間の「家庭」もそうでなくてはなりません。
 しかし、一方では「最も親しい切っても切れない深い繋(つなが)りのある心どうしが触れ合う場所」が「家庭」なのですから、もつれ合う危険も非常に多いのです。そうした人間関係の危機は、誰もが大なり小なり経験するだけに、そのような時には次に示す釈尊(しゃくそん)の教えを肝に銘じておいて下さい。
 もし心と心の調和を失うと、激しい波風を起こして破滅をもたらす。この場合、他人のことは言わず、まずは自ら自分の心を守って、踏むべき道を正しく踏んでいなければならない。
 私たちは、他とトラブルになると、とかく自分が正しく、相手が間違っていると決めてかかりがちです。はじめから、自分が是で相手を非と独断する限り、人間関係のこじれは解けるものではありません。まずこの独りよがりの驕(おご)りを、たしなめなくてはなりません。
 聖徳太子が、『憲法十七条の十』に示された「共にこれ凡夫(ぼんぷ)のみ」の言葉の通り、マイナスだらけの人間が集まって家庭ができている現実に、目覚めなければなりません。お互いに凡夫ということに気づくと、自分も謙虚になれ、他人を慈(いつく)しむ情も涌き起こります。
 古い諺(ことわざ)に「子供叱るな来た道じゃもの、年寄り笑うな行く道じゃもの」というのがあります。素朴な表現ですが、不変の真理を伝えています。
 まず「子供叱るな」は、子供を叱る前に「自分も幼時にはにたようなものだった」と、自分の過去を引き当ててみろ!というのです。すると、子供の悪戯や失敗は自分も過去にしたことだったり、する可能性のあったことだったとわかります。すると、子供や若者への叱り方が変わってきます。(私にはお前を叱る資格が無い。しかし、親であり師である縁から、資格は無くとも叱らねばならないのだ!)と、大人が心の中で反省し、懺悔(さんげ)して発せられる叱責(しっせき)の言葉は、真情の籠もったものですから、必ず相手の心の底に届きます。
 「年寄り笑うな行く道じゃもの」も、自分より年上の人がする行為を笑う前に(自分もあの年齢になったらあの様になるのだ!)と、相手に自分の言動を重ねて考えてみろ!と言うのです。すると、老人に対する思いやりの心が生まれます。他の人がすることをすべて、「あれは私だ」と観じて行動するならば、道を踏みはずすことはないというのです。
 老若男女、さまざまな人との出会いの縁の不思議を、お互いが本当にかみしめ合うことができれば、少々の不満も解消します。
 ある仏教誌に掲載された文章を披露します。
 Sさんのお宅では、いつも元日の朝は家族全員がそろって、「おめでとうございます」とお祝いの言葉を述べてお屠蘇(とそ)をいただくのが、恒例になっていました。挨拶が済んだ時、4歳の孫が、突然発言しました。
 「ぼくの家で、一番早く生まれたのは、おじいちゃんだよね」
 「その次は、おばあちゃんだよね」 「その次は、お父さん」
 「その次は、お母さん」 「その次はお姉ちゃん」
 「その次はお兄ちゃん」
と、家族の誕生順を間違えずに、かわいい声で言いました。そして、最後に大きな声で
 「その次が、ぼくなんだ!」
と叫んで、自分を指したので大笑い。その笑い声が収まった時、孫が言いました。
「みんな会えてよかったね!」
この孫の一言で、Sさんは「家中が、ほのぼのとした温かい気持ちになりました」と、記しています。
 私たちは、どこの世界に生まれるのか、男なのか女なのか、寿命はどれだけなのか、自分の一生を選ぶ事はできません。すべては授かりものです。授かった【縁】によって現在の各々があるのです。

 ならば、せっかく親子・夫婦・兄弟姉妹といった間柄に【縁】を授かったのですから、巡り逢える不思議を感謝し、和合して過ごさなければ、せっかくの【縁】を無駄にすることになります。その舞台が、「家庭」でなくてはならないのです。
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