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海外に長く留学していた友人が、

「日本にいてると、痒い所に手が届くぐらい、いろいろ親切に世話してくれるんは、ありがたいんやけど、たまにそれが煩わしい時があんねん」

と言いました。

たしかに、タクシーのドアは自動で開閉するし、駅や電車の中では、のべつまくなしに駅員や車掌のアナウンスがあるし、料亭やホテル・デパートなどでは、至れり尽くせりのサービスがあります。こちらが何もしなくても、まさに痒い所に手が届くような心遣いを受け、かえって恐縮するほどです。

家庭や学校においても、日本の子供は幼い時代から、両親や教師の過保護に慣らされてしまっているため、成人してからも依存心が抜けきらない傾向があります。そのため、何か困った時には、両親や学校が保護してくれるのが当然だと思う甘えがあり、それが思ったようにならない時には、不平不満を漏らし、反発・反抗するといった傾向が見られます。

また、国民全体に公的機関等をアテにしている気運があり、災害や事故は勿論、不景気等の場合にも、「なんとかしてくれるだろう」と思っているのも、日本人独特の他者依存心の強さに因るものなのです。

かつて知日家(ちにちか)の胡蘭成(こらんせい)さんは、

「日本人は、物事の本質を大事にしない。情勢の良い時には、本質など考えなくてもいいと言う。情勢が悪い時には、今、本質論などでは間に合わないと考える」

と、語っています。

現実に日本では、連日のように各地で不祥事や犯罪が多発しています。そのたび、法律・条例や機構を改革したところで、その根本的原因(本質)を究明し、対策を講じなければ、再発を免れないことは明らかです。

私は、今日発生している不祥事や犯罪の多くは、個々の道徳・倫理の低下が一番の原因であるのは言うまでもありませんが、それを助長したのは、各家庭のコミュニケーションの欠如であると思います。

たしかに、現代の教育のたどってきた方向にも、問題はあります。

以前の(内面からの知恵を)「育てる教育」「精神の教育」から、(外面からの知識を)「教える教育」「物質につながる教育」へと推移したため、知識第一主義になりました。そのため、パソコンの普及ともあいまって、個々の情報処理能力は格段に進歩しました。

しかし、その一方で、その過当競争に遅れを取った者は、フリーターやニートとなっていつまでも定職を持たず、親のすねをかじって<パラサイト・シングル>などと呼ばれ、

「自分の責任を果たし、人様に迷惑をかけず、人様のお役に立つ」という社会の一員としてのなすべき基本さえ、果たせない状況です。

以前は、「頭は悪くてもいいから、人の道に外れたことはせず、人様に迷惑をかけない人間になるように」という教育でした。それが、今日のような知識の詰め込み式の教育に変わったことに因り、本来あるべき人間の姿を見つめることが無くなり、個々の道徳・倫理が低下し、以前では考えられないような事件や事故が起こるようになったのです。

その上、核家族化やお互いのコミュニケーション不足によって、相手の気心が伝わりにくくなり、お互いの心の風通しが悪くなったことが拍車をかけたのです。

少子高齢化社会の到来により、今後ますます社会不安が増すことは、避けられません。年金や保険は勿論、社会福祉にしても、国や公的機関が生活のすべてを保証することなど到底無理な話です。ならば、依存心を捨て、自らの覚悟を決めて、心を調えておくことが肝心です。

釈尊も『法句経(ほっくきょう)』の中で

おのれこそ おのれのよるべ
おのれならで 誰によるべぞ、
ととのえし われの力に勝るもの
いずこにあらん


と説いています。今から二千五百年以上前に、釈尊はすでに「この世の事象に迷わず、自分自身の力をのみ拠り所として生きなさい」と諭しているのです。これは、けっして他の力を一切拒否し、孤高の生活に満足するということではありません。たとえ、自分ひとりではどうにもならない場合でも、他の力をあてにせず、覚悟を決めて心を調えていれば、思わぬ助け舟に出くわした時のありがた味も倍増するものです。

何よりも自分の心を調えることが大切なのであり、依存心は捨てなくてはなりません。
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