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「うらむ」という字は十数種類ありますが、代表的なのは「恨」と「怨」です。どちらも「残念に思う」という点では同じですが、「恨」は「憎い奴と思う恨み」、「怨」は「かたきを取ろうと思う深い怨み」となります。つまり、大雑把にいうと浅いうらみが「恨」、深いうらみが「怨」ということになります。 よく「うらみを晴らす」と言いますが、これは「かたきを討つ」ということ、つまり復讐のことであり、戦争はほとんど復讐の繰り返しです。 釈尊は、怨みについて『法句経・五』で まこと怨みごころは いかなるすべを持つとも 怨みを懐(いだ)くその日まで 人の世にはやみがたし 怨みなさによりてのみ 怨みはついに消ゆるべし こは易(かわ)らざる真理なり と説いています。 インド独立の父・ガンジーの《非暴力・不服従》主義は、「怨みなさによりてのみ」という「易らざる真理」と礎としています。ただ現実には、相手に馬鹿にされたり、恥をかかされたり、ひどい仕打ちに遭ったりすると悔しさを我慢できなくなり、いつの日か仕返しをしてやろうと思うものです。怨みをはらさずに済む方法は「忍耐」しかありません。忍耐無くして怨み心を鎮めることはできません。 *私は学生のころ、怒れると「これだから下界のやつはーーーー」と言って同じ土俵に上がらないようにしてましたが、それでも内心は憤慨していましたからーーーー。 『中阿含経』に もし、争いを持って争いを止めんと欲すれば、ついに止むことを得ず。忍よく争いを止む。この法、まことに尊貴なり。 とあります。 |
『四十二章経』の中にも 忍には怨みなし。 とあります。 怨みからは何も生まれてきません。きっぱりと怨みから離れ、新しい世界へ踏み出していきたいものです。 |
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