地蔵菩薩 Ksitigarbha(クシティガルバ) は、「お地蔵さま」として、古くから多くの日本人に親しまれてきた菩薩です。「観音さま」として親しまれてきた観世音菩薩(観自在菩薩)と並んで、民衆信仰の双璧と言えます。
♪村のはずれのお地蔵さんは、いつもニコニコ見てござる。仲良しこよしのジャンケンポン。石蹴り、縄跳び、かくれんぼ♪ と歌われる童謡は、古の風景を思い起こさせます。現在でも、盂蘭盆の二十四日頃には京都・西舞鶴などをはじめ、関西の各地では町ごとに子供たちが集まり、「お地蔵さま」に餅や菓子をお供えして、<地蔵盆>が営まれます。
かつては、その折に<地蔵舞>というユーモラスな踊りも、奉納されました。そして、「お地蔵さん」が祀られている寺々を、回ってお参りする<地蔵巡り>という習慣も、ありました。また、地蔵信仰の伝統の濃さを表す霊験記・縁起・和讃の類は、いうまでもなく数多く伝えられています。
地蔵菩薩は、サンスクリット語では、 Ksitigarbha と言い、この語の直訳は「大地の母胎」です。インド古代の大地の神であるプリティヴィーが、その姿を変えたものであるという説もあります。
地蔵菩薩を中心に据える経典には、『大方広十輪経(だいほうこうじゅうりんきょう)』八巻、『大集地蔵十輪経(だいしゅうじぞうじゅうりんきょう)』十巻などがあります。地蔵菩薩の名は、七世紀末の漢訳『華厳経(けごんきょう)』(八十華厳)十地品や、これに近い現存のサンスクリット・テキスト『十地品』にも登場しています。しかし、五世紀初頭に訳出された『華厳経』(六十華厳)十地品には見られませんので、この頃には地蔵信仰はまださほど、広がっていなかったと思われます。
『大方広十輪経』には、次のように記されています。(抜粋)
地蔵菩薩は、思い測ることができない功徳によって、衆生を成熟させる。過去の世において、数限りなく多くの仏たちのもとで、久しい間、揺るぎない大いなる憐れみの誓願を起こし、あらゆる衆生(しゅじょう)を成熟させるのである。
もしも、無数のさまざまな苦しみに悩まされ、飢えと渇きにさいなまれている衆生がいて、地蔵菩薩の名を唱えるならば、それらの衆生には悉く十分な飲食を与え、あらゆる苦しみから離れさせ、安らぎ(涅槃)の道に向こう喜びを得させよう。
もしも、身心に苦しみを受け、さまざまな病気に取りつかれている衆生がいて、地蔵菩薩の名を唱えるならば、それらの衆生の身心の苦悩をすべて取り除き、安らぎの中に安住させ、第一の楽しみを得させよう。
もしも、衆生が悪心(おしん)に染まろうとしている時に、地蔵菩薩の名を唱えて一心に帰依するならば、それらの衆生の心を和ませ耐え忍ぶことができるようにし、さらに深く懴悔(さんげ)して慈しみの心を得、安らぎに安住させよう。
もしも、牢獄に繋がれている衆生がいて、厳しく身を責められ、多くの苦しみを受けている時に、地蔵菩薩の名を唱えて一心に帰依するならば、彼らを牢獄から解放し、自由にしてあげよう。
もしも、大水に流され、あるいは猛火に焼かれ、あるいは高い崖から墜落するなどの恐怖がある時に、地蔵菩薩の名を唱えて一心に帰依するならば、それらの恐怖からすべて逃れさせ、安らぎに安住させ、第一の楽しみを得させよう。
地蔵菩薩は、このような誓願を発して、さまざまな姿に身を変え、衆生をあらゆる苦しみから救うのである。
要するに、地蔵菩薩は観世音菩薩と同じように、あらゆるものに身を変え、大いなる憐れみの心によって、苦しみの真っ只中にいる衆生を、救済することを誓願としています。時には、自ら閻魔大王や獄卒となって地獄に落ちた衆生をも救うというのは、特徴的です。
日本における地蔵信仰は、奈良時代に端を発し、九世紀の平安中期にはかなり広まりました。十一世紀になると、六道(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上の六つの迷いの世界)の衆生を六人の地蔵菩薩がそれぞれに救うという六地蔵の信仰も加わり、それ以後の民衆仏教を支える基盤となりました。現在も、墓地の入口や寺院の境内、あるいは町や村の入口に六地蔵が並んで立っているのをよく見ますし、一時院の本尊や、寺に付属する地蔵堂の主尊として祀られている所も、少なくありません。
さらに十世紀前半頃には、中国において『地蔵菩薩本願経』が成立しました。このお経には、無量世界の地獄に化身を現わす地蔵菩薩が仏を供養すると、仏は地蔵菩薩に対して「弥勒菩薩が仏となってこの世に出現するまで、罪に苦しむ衆生を救済しなさい」と委嘱されたとあり、その誓願は文殊・普賢・観音・弥勒等の諸菩薩のそれよりも尊い、と説かれています。つまり、「無仏の世」にあって、仏に代わる存在とされていたのです。さらに、日本では、十二〜十三世紀頃に、地蔵菩薩を専ら地獄の救済者として性格づける『地蔵菩薩発心因縁十王経』(いわゆる『十王経』)が編纂されました。
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