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私が住職している寺は、檀家さんの戸数も多いため、毎日のように来客があります。早い方は、朝ラジオ体操に行く前にお寄りになるので、六時頃のこともあります。うちは、基本的には二十四時間対応なので、深夜や未明に不幸の連絡が来て徹夜になってしまうことも多々ありますから、睡眠不足になりがちです。

訪ねて来られる方の用件の多くは法事の日時の申し込みですが、万一不幸が生じた際の手順の確認とか、仏壇の飾り方や墓地の石碑の建て替えの相談とか、企業の行事での法話の依頼とかたまに雑誌の対談とか千差万別です。

いろんな方がさまざまな用件で来られるのですが、その中で文句や愚痴ばかりを言うタイプの人がいます。そういう方は「おかげさまで」という言葉は、ほとんど発しません。こちらが「お久しぶりですが、ご壮健でなりよりです」と申し上げてもスルーして、いきなり文句や愚痴を言い始めます。

そうした人々と接する中で気づいたのは「おかげさまで」という言葉の出ない人は自分を不幸だと思っている人が多い、ということです。逆に「おかげさまで」と言える人は、少なくともその時点においては自分のことを幸せだと思っている人が多い、ということです。ですから、幸せな時間を多くしたければ、できるだけ多くの「おかげ」に気づき、感謝するようにすれば良いのです。感謝することと幸せを感じることは正比例するのです。

そもそも、多くの日本人は勘違いしています。財産をたくさん持っている人が幸せで、貧しい人は不幸せだと決めつけています。しかし、以前にもお話したように、財産の有る・無しと幸・不幸は全く別の問題なのです。実際には、豊かで幸せな方もいますし、豊かだけれども不幸せな人もいます。貧しいけれども幸せな方もいますし、貧しくて不幸せな人もいます。

幸せとは何かを考えていただきたいのです。仮に、出世して名誉を得、豪邸を建て財産を築いても病弱であったらどうでしょう。あるいは、子宝に恵まれ苦心して皆を一人前に育てても、その子どもたちに諍いが絶えなければどうでしょう。

百歩譲って、財産も名誉も健康もすべて手中にしていたとしても、この内のどれかが無くなるんではないか?、と疑心暗鬼に陥っていたら幸せとはいえないでしょう。不安や恐怖と背中合わせの状態ではなく、いつどんなことが起こっても心が穏やかな状態を幸せというのです。

ある和尚は晩年「万恩に生かさるる身の百恩を知る。せめて一恩に報ぜん」と再三にわたって言われました。私たちが日々受けているおかげを数え上げれば、すぐに百ぐらいは思いつくでしょう。親や兄弟、友人は言うに及ばず、料理を作り運び、片付けてくれた人、料理の材料となった食材、それを育てた太陽の光や熱、水や空気など数え上げたらキリがありません。せめてそのうちの一つぐらいには恩返ししたいものだ、と言うのです。

あるお寺の法話会に来ていた大学生が、布教師の恩についての法話が終わりかけた際に手を上げて「私は恩なんて必要ないと思います。国の恩なんて、国民は税金を払っているんだから国がサービスするのは当然だし、師の恩なんて、私たちは授業料を払っているんだから教えるのは当たり前だし、親の恩なんて、私たちは頼んで生んでもらったわけではないし、親たちが勝手に作ったものである。そんなことよりお金が大事。お金があれば何でもできる。だから、勉強して良い会社に就職して高い給料をもらい、いつかは社長になる。お金が一番。恩なんて関係ない」

こう言ったので、堂内は騒然となりました。そしたら、布教師は
「おまえさん、いくら欲しいのかね?」
と尋ねました。理屈で答えが返ってくると思っていた大学生は、予想外の言葉に黙りました。

そこで布教師は、
「一千万か?。一千万やるぞ。その代わり条件がある」
と、言いました。すると。一千万という言葉に心が動いた大学生は
「条件て何ですか?」
と尋ねたので、布教師は
「おまえの命をよこせ」
と言いました。すると大学生は
「一千万ぐらいで命をやれるものですか。金なんかで命は売れませんよ」
と言ったので、布教師が怒って
「その大事な命は誰からいただいたものじゃ。親からだろうが。その命を導いたのは誰か。先生だろうが。平和な国におられるのは誰のおかげか。おまえは自分のことばかり言っておる。恩を忘れた者は餓鬼と言う。それがわからん者はここから出ていけ」 と、一喝しました。

理屈は言うが命というものを全く考えず、命があるのは当たり前というのが前提となっています。当たり前になって感謝が無くなってしまっています。人間は、一人で生きていくことはできません。たくさんの人に支えられているから生きていけるのです。多くの恩を受けているおかげで、今の自分があるのだと知ること、これを【知恩】と言います。

私たちはひとり咲き、ひとり散るわけではありません。幾多のおかげ大きくなり、花が咲き、そして散っていきます。自分が受けたありがたい恩を他の人にさし向けること、これを【施恩】と言います。今の自分にできる身近なことから始めましょう。

<例>料理のお礼を言う、公園の掃除をする、門の前を掃く時に隣家の前も掃いてあげる、洗い物を手伝う、風呂の掃除をする、荷物運びを手伝う などなど。
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