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人はみな、何かに執着(しゅうじゃく)して生きています。ある人はお金に、ある人は名誉や地位に、ある人は人間関係にと、執着しているものは違えども、誰もが多かれ少なかれ何かに執着しているのが現実です。まるでそれが当たり前のように、それ以外の生き方は無いかのように感じている人さえいます。その執着を執着だと感じてさえいない人も時々見かけます。

仏教用語における執着というのは「事物に固着して離れないこと。忘れずにいつも心に深く思うこと(中村元『仏教語大辞典』)」です。これは自分の手の中に何かをギューッと握りしめて絶対に離そうとしない人、あるいはしがみついているものを放すまいともがいている人を想像して下さい。そういう人を第三者が見たら、見るからに苦しそうで疲れそうだし、窮屈で不自由そうなので「そのしがみついている手を放したら、如何ですか?。何も悪いことは起きませんよ。その方が、今よりもずっと楽で自由になれますよ」と声を掛けたくなることと思います。ただ、そう言われた人が助言に従って素直にしがみつくのをやめるかというと、なかなかそうはいかないのが現実です。

人間というものは、とりあえず現状維持に腐心する動物なので、たとえその執着のせいで苦しみが増し幸せが減っているとしても、それまで慣れ親しんできた執着のパターンを他人から言われたぐらいでは手放そうとはしないものです。それどころか「あんたに何がわかる。大きなお世話だ。ほっといてくれ!」と怒り出すかも知れません。自分そのものを否定されているかのように感じるからだといいます。

昭和を代表するコメディアンである植木等が、かつてヒットした「スーダラ節」の中で繰り返し歌っていたように「わかっちゃいるけど やめられねぇ」のが人間の性のようです。人間というのは放っておいたら自然と物にこだわる執着的な生き方をするようになるのですが、そのままだと必然的に苦しみが増して幸せが減ることになります。日常的に欲しいものが得られなかったり、せっかく得たものが失われたりするからです。にもかかわらず、私たちが地位・名誉・財産・人間関係などに執着するのはそうしたものを手中にできれば幸せになれる、と思い込んでいるからなのです。そういうものの考え方を英語では“if only” mindsetと言います。

mindsetは自身の習性として根づいたものの見方や考え方のことです。if onlyというのは「もし~であったならば」という仮定の願望表現です。たとえば、If only I had a little more money, I'd buy that car.(もしも、もう少しお金があったならその車を買うのに)というように使います。実際には今十分なお金を持ってはいないのですが、あったら良いのになぁ⤵︎」と、今ここに無いものを欲しがる執着がそこにあります。そうした願望を持つこと自体は別に問題ではありませんが、これがエスカレートすると「〇〇が無ければ幸せになれない」「☆☆さえあれば幸せになれるはずだ」となってしまい、極端な”if only” mindsetになってしまいます。

仏典の中にしばしば出てくる「何ものにも執着せず」という言葉は、私たちの中に深く根を張っている“if only” mindsetに対する自覚を促してくれます。そして、自分が何に対して執着しているのか、そのことが実際に何をもたらしているのか、諸行無常のこの世にいつまでも執着できるものがあるのか、という深い吟味を迫ります。執着をベースにした自然的な生から、無執着をベースにした自覚的な生へと生き方をシフトせよ、と勧める力強いエールなのです。

スッタニパータ(経集・Sutta Nipata)の三六三に「好ましいものも、好ましくないものも、ともに捨てて、何ものにも執着せず。こだわらず、諸々の束縛から離脱しているならば、彼は正しく世の中を遍歴するであろう」

(『ブッダのことばスッタニパータ』中村元 訳 岩波文庫)
と記されています。

これまでずっと物質的豊かさを幸福だと考え追求してきた私たちは、そろそろ【求めざる豊かさ】の幸福に気づかなければならないのではないでしょうか。
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