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瓶に入った牛乳が1本とガラスのコップが1個あって、兄と弟がいます。さて、この兄弟が牛乳を半分ずつ飲むには、どうしたらいいでしょうか。同じ大きさの瓶かコップが2つあれば簡単に半分に分けられます。しかし、瓶とコップではどうしたらいいでしょうか?

冒頭にこんな問題を提起したのは、こういう時に仏教ではどう説いているかを知って戴きたいからです。現実の人生の中では、さまざまな問題が生じます。それを《【智慧】によって解決しなさい!》というのが仏教です。
【智慧】は<知恵>とは違います。発音は同じでも、【智慧】と<知恵>とは、雲泥の差です。どう違うのかというと、

【智慧】は→生まれながらに身に備わっている智慧・こだわりのない仏の智慧

<知恵>は→生活体験によって身についた知恵・世間一般の凡夫の知恵


です、凡夫の<知恵>というのは、時には悪知恵になったり、「下衆の後知恵」と言われるように後から思いついたり、いろいろな「こだわり」の中での上策であったりしますが、仏の【智慧】というのは、世俗のこだわりのない自由なものです。

ある禅僧が大学へ行って、倫理学の教授たちと話をしていた時のことです。突然、その禅僧が問題を提起しました。

「川があって、あなたの母と妻が溺れています。あなたはどちらを先に救いますか?」
すると、大学教授たちはあれこれ議論を始めました。

「儒教の考え方では<孝>が何よりも最優先されるのですから、まず母親を救うべきです」

「いやいや、西洋社会の考え方では夫婦が基本なのですから、妻から先に救うべきです」

いろいろな意見が出てきて、なかなかまとまりません。そこへ禅僧が合いの手を入れます。

「早くしないと、2人とも死んでしまいますよ!」

ですが、そう言われても教授たちは困るばかりです。そこで1人の教授が逆に禅僧に質問しました。

「和尚さん、和尚さんであれば、どちらを先に救われますか?」

すると、禅僧はいとも簡単に答えました。

「わしなら手近な方から助けるが…」

これこそが仏の【智慧】です。こだわりがありません。

それに対して、凡夫の<知恵>は、こだわりがあります。「母」「妻」と対象にレッテルを貼ってどちらを先にせねばならないかにこだわっています。そうすると、溺れている二人のどちらも助けられなくなります。

仏の【智慧】であれば、まず1人を救ってから、もう1人を救うことができます。もしも2人とも助けることができなくても、少なくとも1人は救えるでしょう。

この例でもって、【智慧】と<知恵>の違いが少しでも御理解いただけたことと思います。

そこで冒頭の牛乳の話に戻します。

瓶に入った牛乳が1本とコップが1個あって、兄弟2人が半分ずつにして飲む方法についてです。ひとつ、いい方法があります。

まず、兄が牛乳を半分コップに移します。自分はどちらを取ってもよいと思えるように、上手に半分に分けます。次に弟に選択させます。なぜ、これがいいのかというと、弟はこちらの方が多そうだと思って一方を取ったのですから、不満はありません。兄も自分はどちらでもいいと思えるように半分に分けたのですから、弟が残した方でも満足のはずです。だから、2人とも満足しています。

しかし、これは凡夫の<知恵>による解決です。こだわりを持った解答です。この場合、「半分」ということにこだわっているのですから…。

仏の【智慧】にはそうしたこだわりがありません。仏の【智慧】による解決では「半分」にこだわらなくてもいいのです。では、仏の【智慧】による解決の場合はどうなるのでしょうか?

少し脱線しますが、よくあるパターンのコマーシャルをもとに考えてみましょう。インスタントラーメンのCMで、2人の小学生の兄弟が奪い合いの喧嘩をしています。「これは僕のだ!」「いや僕のだ!」とやっているシーンが映し出され、いきなり「こんなにおいしい○○ラーメン」とメッセージが入ります。よくあるパターンです。

ところが、これを見た韓国人が「何てまずいラーメンだ」と感想をもらしました。韓国ならば、こんな宣伝はしないと言うのです。

では、韓国ならばどんなCMが作られるのかと尋ねると、まず兄弟が譲り合いをする場面を見せるのだそうです。「おまえが食べなさい」「お兄ちゃんこそ」「いや、いいから食べなさい」そして「こんなにおいしい○○ラーメン」となるのだそうです。

なるほど、確かに奪い合いをして食べてもおいしくないでしょう。譲り合いをして兄弟仲良く食べた方がおいしいに決まっています。そう考えると先程の牛乳瓶の問題もすばらしい解決策が浮かんできます。

凡夫の<知恵>に頼ると、どうしても「半分」にこだわってしまい、解決が難しくなってしまいます。仏の【智慧】による解決では、このこだわりをなくすことから始まります。きっちり「半分」でなくても良いのです。大切な事は、「兄弟が仲良くすること」のはずです。牛乳のために奪い合いの争いをするのであれば、牛乳など無い方が良いのです。せっかく親が残してくれた財産を兄弟姉妹が奪い合いをして、そのために仲が悪くなったという話をたまに聞きますが、そんなくらいなら財産など無い方が良いのです。

では兄弟が仲良くするためには、どうしたら良いでしょうか。まず、兄が言います。

「おまえが先に好きなだけ飲みなさい。ただ、お兄ちゃんにも少し残しておいてね」

「うん、ありがとう」

弟は、半分よりちょっと少なめに飲みます。そして、兄に譲るのです。すると、兄の方も気をきかせて少し残します。そして弟に言います。

「さあ、後は全部おまえが飲みなさい」

「お兄ちゃん、ありがとう」

これで、兄弟仲良くなれます。これならコップが無くても、兄弟が分け合って飲めるのです。

これが仏の【智慧】です。すばらしい【智慧】ではありませんか。

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