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 「彼岸」という字は、「彼の岸」(読み/かのきし)と書きます。「彼の方」(読み/かのほう)だと「彼方」(読み/かなた)となって《あちら、向こうの方》という意味ですから、「彼岸」(読み/ひがん)は《向こう岸》という意味になります。では、何の向こう岸かといいますと、これは三途(さんず)の川の向こう岸、つまり煩悩妄想(ぼんのうもうぞう)の無い悟りの境地を指すのであり、これに対して川の手前の岸を「此岸」(読み/しがん)といい、私たちの生きている現世(げんせ)、つまり煩悩の渦巻く迷いの世界を指します。

 この川の向こう岸の境地(悟り・無の境地・涅槃)に到ることを、インドのサンスクリットではparamitaといい、これに漢字を音写(おんしゃ)したものが《波羅蜜多》(はらみた)です。すなわち、悟りの世界が「彼岸」で、迷いの世界が「此岸」(読み/しがん)、「彼岸」の境地に到ることを《波羅蜜多》というわけです。

 ところで、この「彼岸」という行事は、世界で日本にしか無い行事なのです。仏教の発祥地であるインドや、発展段階を経た中国には無いのです。これは、ちょっと考えると不思議なことですが、それは何故かというと…。

 実は、日本において「彼岸」の行事が最初に行われたのは大同元年(806)、今から1200年近く前の事なのです。当時の日本には、中国から数多くのお経が伝わってきていました。その中に、『浄土三昧経(じょうどざんまいきょう)』というのがありました。結論からいうと、このお経は偽経(ぎきょう)でありました。本来、お経というのは、釈尊が説いた教えを書いたもので無くてはなりません。にもかかわらず、釈尊が言ってもいないことを、さも言ったかのように捏造(ねつぞう)したものを偽経(ぎきょう)と言います。『浄土三昧経』は、偽経の一つでした。ところが、当時の日本は各地に寺院を建立し、仏教を取り入れることに非常に熱心な時代でしたので、まさか伝わってきた中に偽経が混ざっているなどとは、思いもよらなかったのです。

 この『浄土三昧経』の一節に「八王日(はちおうじつ)に読経持斎(じさい)すれば、寿命が増長し家門は繁栄する」とあるのです。そこで、これを読んだ時の為政者が諸国の国分寺の僧を集め、東大寺で金剛般若経(こんごうはんにゃきょう)を読ましめ、国家の安泰と繁栄を祈願したのが始まりとされています。八王日というのは立春・春分・立夏・夏至(げし)・立秋・秋分・立冬・冬至(とうじ)の8回です。つまり、季節の変わり目と真ん中に行っていたわけです。

 しかし、これを続けるには無理がありました。というのは、1200年前は冷蔵庫も冷房も無い時代ですので、真夏には供物(くもつ)が腐ってしまうし、温室など無い時代ですので、真冬には花など咲いてはいないからです。そこで、まず夏至と冬至が取りやめになり、次第に減って、現在と同じ春分と秋分だけになったのです。

 「彼岸」が春分と秋分の2回に定着した頃には、すでに日本人も『浄土三昧経』が偽経であることに気づいたのです。けれども、先祖の供養をすること自体は悪いことではないし、「せっかく根づいた習慣を取りやめなくてもいいではないか」ということから、引き続いて行われ今日に至っているのです。

 もっとも現代人ならば、釈尊がそんなことを説く筈(はず)がないことは、すぐにわかります。なぜならば、釈尊はヒマラヤ山麓(さんろく)で農耕・牧畜を営んでいた釈迦族の王子として生まれ、29才の時に出家し、6年間の苦行の後に尼蓮禅河(にれんぜんが)(neranjara ネーランジャラー)のほとりであるブッダガヤー(Buddhagaya)の菩提樹(ぼだいじゅ)の下で悟りを開きました。最初の説法はベナレス(Benares)で5人の修行者に対して行い、安居(あんご)の雨季以外は毎日遊行教化(ゆうぎょうきょうけ)を繰り返して教団を拡大し、80才でクシナガラ(Kusinara)の郊外で亡くなられたのです。つまり、釈尊は一生をインドからネパールに跨(また)がる地域で過ごされたのです。

 インドは赤道直下です。雨季と乾季はありますが、四季はありません。四季が無ければ、八王日はありません。八王日の無い国で一生を過ごした釈尊が、「八王日に云々(うんぬん)」という教えを説くかどうかは、言うまでもありません。

 しかし、『浄土三昧経』が伝わってきた時代には、地球が丸いことも、インドと日本は気候が違うこともわかっていなかったのです。だから、偽経と見抜けなかったのも無理はないのです。

 ともあれ、現在の日本仏教において春秋の「彼岸」の行事は、完全に定着しています。今さら真偽を正すよりは、日本仏教独自の習慣として継承していき、「彼岸」の時節には仏檀を清め、墓石の掃除をし、菩提寺に参拝して、亡き先祖の御恩に感謝するとともに、亡き先祖の御恩のお陰で今の自分たちがあることを考える契機(けいき)としたいものです。
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