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人間の欲望には、限りがありません。誰しも、今より豊かな生活の方が良いに決まっていますから、その実現に向けて努力してきました。特に日本は、戦後の荒廃した状態から復興すべく、《少しでも良い物を、少しでも安く、少しでも多く、少しでも早く》というのを目指し、《他に追いつき追い越せ》で励んできましたから、科学技術の進歩は目覚しく、物質的にはかなり満たされた状態にあります。

しかし、一方では大気汚染や水質汚濁に象徴されるように、自然環境は破壊され、急激な温暖化による海面の水位上昇など、地球規模のピンチを招いてしまったのも事実です。つまり、人間を進歩させるのも退歩させるのも、みな人間の英知に因るのであり、言い換えれば「人類を救うも滅ぼすも、また人間である」のです。

今、大切なのは、人間が自分の欲望を制する智慧に目覚めることなのです。知足を実践することなのです。知足は、他の生物が持ち合わせていない、人間だけに具わる英知なのですから……。科学でいえば、未知の世界の開発ばかりに意を注ぐのではなく、開発が環境に及ぼす影響を考慮し、あえて「止まる所を知る」のも、科学的英知というものではないでしょうか。

現代の日本は、物質的には非常に豊かです。大概の物は、容易に手に入ります。そのため、私たちは物を粗末に扱いがちです。町の大型ゴミの置き場には、まだまだ使える物がたくさん見受けられます。これは、いわゆる〔豊かさの不消化〕です。本当の豊かさとは、自分が授かったわずかな物であっても大切に扱い、それぞれの役割を全うするまで使いきり、それでもまだすぐには不自由しない状態を指すのです。それなのに、現代人はやたらと物を使いきらずに捨てるため、本当の豊かさを味わえないのだと思います。たとえて言えば、貴重な食べ物であっても、よく噛み砕き味あわなければ、不消化のまま排泄されるのと同じです。


京都市右京区に臨済宗の大本山妙心寺があります。妙心寺の敷地は10万坪あり、その中には本坊の他に、歴代の住職のお墓を守る塔頭(たっちゅう)寺院が、全部で47ヶ寺あり、この中のひとつに、石庭で有名な竜安寺があります。ここに『吾唯知足(われただたるをしる)』と表面に刻んだ手水鉢(ちょうずばち)があります。手水鉢の中央に水を溜める口を彫り、その四方にそれぞれの部首を刻んで『吾唯知足』となるようにしてあるのです。

茶の湯では、露地を通り茶室に入る前に、あらかじめ手や口を洗い清めてから、席入りするのが礼儀とされています。その際に使うのが手水鉢です。しかし、手水鉢に入っている水は限られた量であり、それを使って何人もが手や口を洗うわけですから、無駄にしてはなりません。そこで、柄杓(ひしゃく)で汲んだ一杯の水で、まず左手を洗い、次に柄杓を左手に持ち替えて右手を洗い、次に手に少し受けて口を漱ぎ、最後に柄杓を立てて自分が持った柄の部分を洗うのが作法とされています。たった一杓の水で、全てを行うのであり、まさに『吾唯知足』です。

また、妙心寺は6代目の住職になられた雪江宗深禅師の下で、法系が四派に分かれて栄えるのですが、その中で最大の門流である東海派を興したのが、安土桃山時代に活躍した悟渓宗頓禅師(1416〜1500)です。この悟渓の若い頃の話です。

悟渓は、親しい修行仲間と共に、諸国を行脚していました。ある夏の日に、琵琶湖畔を歩いていた時、湖面を渡る涼風に誘われ、松の根元に腰を下ろして汗を拭うことになりました。しかし、なにせ真夏のことですから、汗は次から次へと吹き出てきます。そこで、みんなで水浴びすることになりました。

ところが、この水浴びの仕方が、人によって異なりました。ある者は衣類を脱ぎ捨て、裸になって水に浸り、ある者は両肩を脱いで、上半身を手拭いで拭き、ある者は片側ずつ肩を脱いで、汗を拭きました。

しかし、悟渓は肩も脱がず、裸にもなりませんでした。水辺に膝をついて手拭いを濡らし、懐から手を入れて汗を拭うのみでした。悟渓のあまりにも慎ましやかな仕草に、水に浸っていた者は

「お〜い、日本一の琵琶湖という大きな盥(たらい)での行水だ。裸になって入って来〜い!」

とからかうと、悟渓は静かに

「わが分は限れり。児孫に留与してこの潤徳を遺さん」

と答えました。これは、《琵琶湖の水はたくさんあっても、自分が使ってもよい量には限りがある。たとえわずかでも、後世の人々の為に、豊かな水の得分を遺したい》というのです。この言葉に、仲間たちは深く頭を垂れたといいます。

悟渓は後に、美濃国の太守 土岐成頼の菩提追福の為に建てられた瑞龍寺の開山として迎えられ、されには大徳寺・妙心寺へと進住しました。

現代のように物の溢れる時代にあっては、悟渓宗頓禅師の「わが分は限れり。児孫に留与して潤徳を遺さん」の句は、私たちの生き方を示す箴言(戒めの句)として記憶にとどめておかねばなりません。

「足ることを知る」は、外へ求める欲の念を断ち、自分に与えられた物への感謝の念を喚起することにつながるのですから、これこそが幸せに生きる道なのです。
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