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*カール・ベッカー博士(ハワイ大学哲学博士・京大大学院教授)に学ぶ 考A 私はハワイ生まれで、日系移民の方々に囲まれて育ちました。そこで接した仏教は、経典的な仏教ではなく、ハワイの日本人がしていた仏教的な生き方、まさに「おかげさま」とか「おたがいさま」といった礼儀作法を含む仏教でした。そうした空気をもっと学びたく、大阪万博直後に京都大学に参り、梵語・漢文やインド哲学などにも携わらせて頂いたのですが、私の最大の関心事は【文字】ではなく【生き方】でした。 万博直後の日本は右肩上がりのバブル全盛の時代で、国民の皆さんも潤っていましたし、神社仏閣への寄附もして頂げましたから、一見うまく回っていたように見えていました。しかし、経済がおかしくなり、金利はゼロになり家計も苦しくなってくると、神社仏閣にお布施をする余裕が無くなり、自分たちの先祖が祀られているにもかかわらず、伽藍の改築や修理の費用すらも集めることが厳しくなってしまったのが現在です。 私たちが若い頃には人生に理想を持っていました。一生懸命勉強して良い大学に入り、良い会社に勤務して幸せな家庭を築き、貯金をしてゆったりとした老後を過ごしたいというような理想を描き、ガムシャラに働きました。 しかし、現代の若者は違います。良い成績を取れ、と言われても「どうせ大学には行かない、行ってもフリーターになるのだから仕方がない」、「良い会社」と言うけれども「良い会社は雇ってくれない」、貯金してもその価値はどんどん減るのは確定で、今の十万円と二十年前の十万円を比べてみればわかるように、さらに二十年先の十万円は今の半分の価値ぐらいしか無いだろうと「貯金しても仕方がない」と退廃的です。 以前の日本人が当たり前としてきた理想が根底から崩れてしまっているのです。世界観、価値観が違うという若者までいます。しかし、それは日本だけの現象なのです。 妙心寺派も台湾に五つぐらいお寺があります。台湾も都市化・高齢化が進んでいますが、台湾の医療福祉方針は非常にうまくいっています。実は台湾の場合、お寺はむしろ繁栄しています。 以前、私は台湾である調査をしました。 「もし、あなたが病気に倒れたらどういう医療に頼りますか?」 回答の選択肢は「西洋医療」「伝統中国医療」「宗教的医療」の三つで、複数の回答が可能でした。 田舎の阿里山あたりの台湾中部だと、複数回答の為「西洋医療」「伝統中国医療」「宗教的医療」がほぼ四割ずつだったのですが、台北市のような大都会ではハ〜九割が「西洋医療」でした。一方で「伝統中国医療」は日本と同様に漢方には政府の支援がありませんので、二割程度になってしまったのですが、驚くべきは「宗教的医療」にも頼るという人が八〜九割もいたことです。 当初、台北市は教養レベルも収入も高いし、国際的インテリが多くて「宗教的医療」を希望する人はグンと減るだろう、と予想していたので、この結果には正直驚きました。 台湾の人たちは何か悩みや病気がある場合、まず社会保障によって無料同然の病院や開業医の所に行って話をしますが、そこでは数時間待たされた挙げ句に数分の診療で薬を処方され「はい、次」と言われます。ところが、それでは患者は気が晴れません。自分の悩みが理解されているとは思えないので、ちょっとした裏の里山の寺院を訪ねてそこの僧侶に自分の悩みを延々と語るのです。その時、台湾の僧侶は釈尊同様、ずっとそれを黙って聞いているのです。挨拶をした後は、ずっと相手の話を聞いていて、相手がもうこれ以上愚痴をこぼすものが無いとわかった時、それまでずっと考えていた一句を『大蔵経』から取り出して「あなたの救いがこの一句に潜んでいると思う。この一句を持って帰ってよく瞑想して考えて下さい」と言うのです。 そこで初めて「ありがたい」という思いが出てくるのです。本人は気が晴れ、偉い人に話を聞いてもらった有り難みで多額のお布施を置いて帰るわけです。この宗教的ケアはまさに釈尊と同じです。 釈尊は薬草なども少し使ってはいたようですが、相手の話を聞くことによって相手の心を癒していたように思われます。つまり傾聴が九十九%で、そのプラスαの一句が一%で十分なのです。これは、空海やダライラマもそうですよね。 ダライラマをお招きして対談をさせて頂いた時、彼はほとんどしゃべりません。素晴らしい菩薩のような笑顔で、ずっと話を聞いて下さるのです。それでこちらがもう言い尽くしたかと思うところで「これはどうです?」とか「ここまでは良いけれど、これはもう少し考えた方が良い」などと答えて下さった言葉はすごく印象に残っています。 これは『雑壁喩経』に出てくるキサーゴータミーの話と同じです。赤ちゃんを亡くしたキサーゴータミーが「子どもを生き返らせて下さい」と懇願した時、釈尊は「それは無理なことです」とは言いません。説法もしません。ただ「それでは今まで死人を出したことのない家から、芥子の実をもらって来て下さい」と言いました。当時のインドでは香辛料を貸し借りするのは当たり前のことだったので、何も難しいことではありません。しかし、彼女が次々家を訪ねても「うちは昨年おじいちゃんが亡くなって--」「うちは従兄弟が亡くなって--」と、亡くなった人の無い家はないことにキサーゴータミーは気づくのです。つまり、相手が必要としているものを見抜き、その本人に実践してもらってその人の腑に落ちるように導くのです。 |
現代はADHDと略される注意欠如・多動症の子供が増えていると言われています。これに対してあるお寺が「引きこもり塾」と名乗って子どもたちに田植えをさせています。みんなもとより対人関係が苦手な子・自閉症ぎみな子・全く集中のできない子たちでしたが、お寺の隣の田んぼで田植えをしていると、これまで人と話したことの無い子供が「暑いね」とか「うまく育つといいね」とか会話が生まれるのです。集中できなかった子供が単純作業をやろうちに、それに集中してぶがこもり、それ自体が一つの三味に近づいていく作業になるんです。やり甲斐があってこれを繰り返しているうちに、なんとこの病気だと思われていた子どもたちが、宿題に向かっても集中できるようになり、隣に座っても礼儀正しい会話を交わせるようになったという例があります。これはどうして成功したかというと、親の悩みに耳を傾けて、お寺に何ができるかを考えたからなのです。 周囲のニーズを覚って、それに応えることが大事ではないでしょうか。 |
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