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*カール・ベッカー博士(ハワイ大学哲学博士・京大大学院教授)に学ぶ 考B

私が御年配の方々に対する調査をしますと、彼らは皆「晩年には自然を味わいたい」と言います。
しかし、京都でさえ自然は激減し、ましてや大阪・東京・名古屋などでは自然はありません。どこで自然が味わえるのかというと、お寺には自然が残っています。ちょっとした庭があり、築山があり、池があり、竹林があります。鳥が囀っている所もあります。

あるお声では、寺の一室を定期的に御年配の方々にたまり場として開放しています。御年配の方々もそこに碁盤を持ち込んで囲碁をしたり、お茶を持って来て将棋を指したりしています。しかし、彼らはもとよりお寺に親しみたいと思っているわけではないのです。ただ、自然が恋しくてその空間に入るのです。ですが、その座敷に慣れてくると「今度、日曜日に法話会をするんですけど、お越しになりませんか?」とか「お寺の大掃除をするんですけど、一緒にやりませんか?」と誘うと、喜んで集まってくれるのです。

「老少は不定なり」と言います。私は、ご縁あって寝たきりの患者さんと多く関わってきました。
その中には病床から私を見上げて「こんなふうに生きていても仕方がない」などと嘆く人がいます。
そこで、私が「〇〇さんは、やるべきことはすべて終えたのですか?」と尋ねますと、「私にはもうやれることも生き甲斐も無いと思い、早くあの世に逝きたいと思っている」と言うので、「たとえば皆に言いたいお礼とか謝辞を出しましたか?」「自分の貯金や入っている生命保険・医療保険などを次の世代に説明しましたか?」と問い、説明してあると言えば「もっと病気が進むと最新の手当てが出来るようになるかも知れない。それを伝えずにおくと折角入った保険は何の役にも立たなくなってしまう場合もありますよ。コツコツ貯めた預金だって、それを伝えてないと国や銀行のものになってしまうんですよ。その額に因っては、争いが生じて物笑いになったり、とんでもない相続税が生じて大部分を持っていかれる場合すら有るんですよ。そうなったら切ないでしょう。だから、節税と積徳の為にお寺に寄附したりする方も有るんですよ」と言うのです。

身辺整理や形見分けなんかも、多くの人は出来ていません。病院に行ったら即入院と言われ、必要最低限の物だけを持って入るので、書斎なんかは手付かずにそのままです。そこで、菩提寺のボランティアが許可をもらって、デジカメなりタブレットを持ってその書斎に入り、物には一切触らずに写真を撮ります。その撮った写真を病室で拡大して本人に見せると、「この掛け軸は」「この時計は」「この本は」と指差しながら本人に聞けます。すると、「あの掛け軸はいつごろ誰に書いてもらって大事にしているから、私が居なくなったら倅に」とか「あの時計は孫が気に入っていた物だから、孫に」とか「あの本はまだ家に有ったのか。誰それに返しておいてくれ」などといろいろ出てきます。それをお寺のボランティアが、一つ一つメモを取りながら対応していくのです。そうすることによってその方の身辺整理というか、心の整理に役立つことが出来ます。

私もこの年になりますと、段々と先輩方に先に逝かれるようになりました。久方ぶりに先輩の家に行くと「君が来てくれるなんて、久しぶりやなぁ。どうぞ上がって」と言われ、昔話をするんです。すると唐突に、「あっ、そうだ、なにか形見にでもどうぞ」と愛用の品がたくさんある部屋へ連れて行かれます。しかし、京都ではそこで何を選んだとしても、後々まで「あの時、彼は何を選んだと思う?」と言われることは周知の事実ですから、何も持って行けません。ですが、先輩が死ぬ前に「俺が死んだら、この釣り竿をベッカー君にやってくれ。かつて、彼と琵琶湖まで行ってブラックバスを釣った時のことを思い出してくれたら嬉しい」とか「もうカセットテープを使っている人は無いだろうけど、ベッカー君なら一緒にコンサートに行った時のアリスのテープを憶えていてくれるだろう」などと言われると、それは貴重な形見になるんですよね。実はその釣り竿は二千円、アリスのテープは百円で買えるんですが、〈買える〉ということではないのです。買えないのは、彼の握った釣り竿や彼のテープなのです。

本来の目的は、身辺整理や形見分けではないのです。ご高齢の方々の多くは寂しがり屋です。ですが、身辺整理や形見分けを通して人の顔が見えてくるのです。あの釣りの時のベッカーの顔、コンサートに行った時の仲間との会話など、今まで幾多の出来事を通してたくさんの人と接して来たんだ、ということに気づくと、人生は捨てたもんではない、寂しいものではない、と彼らの心を癒すことに繋がるのです。

もちろん、葬儀を行なって俗世における迷いから脱却させ、解脱の境地に導くべく引導を渡すことも、墓碑供養を行なうことも故人を安らかなる出立へ誘うことに違いありません。しかし、その一歩手前でどのようにそこへ導くかを考えなくてはならない、と思うのです。
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