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死亡の宣告は医師の役目です。その判断材料は、生存に必要な心臓(循環)、肺(呼吸)、脳(中枢)機能が停止していること、すなわち心停止、自発呼吸停止、瞳孔散大の状態がすべて生じていることです。

また、生命維持装置の発達により、心臓が停止していても生きられる為、代用脳の無い現在では、脳の死を人の死とすることも行われています。

しかし、これらの状態が続いていたとしても、その時点で患者の体のすべてが死んだということではありません。実際にはこの時点では、体の数多くの細胞はまだ生きています。死は、徐々にやって来るものなのです。

よく言われる話ですが、手術の時、全身麻酔で患者が眠っていると思って内緒話をすると、実は患者に聞こえていたということがあります。また、医師の「ご臨終です」の声も患者に聞こえているのです。遺体の脳を調べると、聴覚を司る機関が死後でもちゃんと機能していることは、稀ではないからです。

ある脳神経専門の医師によれば、

「私の記憶に鮮烈に残っている体験は、ある6才の女の子の脳死判定をした時のことです。脳幹反射が消失していることは確認しましたが、無呼吸試験の前に平坦脳波を確認しなければなりません。患者さんに脳波計を取り付けて、感度を2倍に上げて検査しました。脳波は全く検出されず、ずっと平坦でした。最後に患者さんの耳元で名前を呼びました。

『○○子ちゃん』

そしたら脳波計が反応したのです。脳波計の針が振れて、脳波が出たのです。何回か繰り返しましたが、その都度確かに反応がありました。死が間近に迫り、反応が見られなくなっても、ご家族には『声をかけてあげて下さい』と申し上げます。私はその声が患者さんの耳に届いていると思うからです」

一般には心臓が止まることによって死亡が確認されますが、心臓が止まると全身に血が回らず酸欠状態になり、それに最も弱い細胞から徐々に死んでいきます。しかし、爪や髪は酸欠状態でも長く生き続けられますから、医師が臨終を告げてからも、十数時間は伸び続けます。

また、脳の中心にあって、自律神経機能や内分泌機能を制御し、生命維持機能に関る中枢の役割をし、具体的には血圧・血流・体温・体液・消化・吸収・排泄・性機能・代謝・摂食・飲水・免疫などを担う視床下部は、しばらくは生き続けていますから、患者は外部からの声が聞こえるそうです。ですから、息を引き取った故人に対し、この時点で近親者等が感謝やお礼の言葉をかけるのは、意味があるのです。

医師が「ご臨終です」と告げた後に、故人が動くことがあります。心肺停止状態に陥っても、しばらく呼吸をすることがあります。これは《死戦期呼吸》と呼ばれているもので、心停止直後にしゃくり上げるような呼吸や、途切れ途切れに起きる呼吸が認められることがあります。足などが動くこともあります。そうすると、家族には「生きている」ように見えます。ですから、医師は心電図が平坦になったからといっても、すぐには死亡宣告はしないそうです。

法律では、人の死は医師が診断する、となっています。医師が死亡宣告しない限り、心肺停止状態であっても、死んではいないことになりますから、人の生き死にを決める医師の責任は重大です。特に、心電図モニターなどが無い時には、医師は五感のみで判断しなければなりませんから、経験が必要です。

死の三徴候といって、死亡と判断する時に人体に現われる3つの徴候があります。瞳孔散大(対光反射消失)、呼吸停止、心停止の三徴候です。

死亡診断時、医師は概ね瞳孔をまず確認します。右手に持ったペンライトで、瞳孔を照らして対光反射を診ます。この時に、瞬きしたり、瞳孔が縮小したら死んでいないことになります。瞳孔散大を両目で確認して、瞳孔散大、対光反射無し、とカルテに記載します。

呼吸停止は、モニターがあれば呼吸の波形が平坦になりますから一目瞭然です。しかし、一応聴診器を胸に当てて聴診します。

心停止も、心電図が平坦になれば判断できますが、聴診器を胸に当てて聴いただけでは心停止と言いきれるものではありません。頚動脈、大腿動脈を触れて、拍動が無いことを確認して、心停止と判断します。

心肺停止状態に陥っても、身体の細胞がすべて死滅するわけではありません。循環が途絶えても、末端の細胞や皮膚は2日ぐらいは生き続けます。その間、体毛や髪などは伸び続けます。臨終を宣告されたからといって、患者のすべてが亡くなったわけではないのですが、このことに遺族は気づいていないケースが多々あります。

個体が亡くなっても、脳内の重要な組織が生き続けていることが、科学的に確認されています。亡くなった時点で遺体の全ても死んでしまい、モノということになってしまうと勘違いしている人が、枕経〜通夜〜葬儀の葬送儀を略しても構わないと思うのでしょうが、実際はそうではありません。体の一部は生きているのです。

私たちの五感のうち、最も早く発達し、かつ最後まで残るのは聴覚です。人間は母親の胎内にいる6ヶ月ごろに内耳が完成し、一方亡くなった後にも聴こえています。ですから、昔から亡くなった故人に「ありがとう」「よく頑張ったね」などの感謝の言葉をかけるのが良い、とされるのです。まちがっても、迂闊に悪口は言わないようにして、寂しくないようにしてあげたいものです。

◯◯◯◯氏(☆☆☆老人医療センター名誉院長)、自らが臨死体験を二度経験したそうですが、いずれの時も「これはもう駄目だな」という、溜息まじりの声が聞こえたそうです。

彼が33才の夏、扁桃炎の高熱の中で実験を終えた後、治療室で立ったままペニシリンの注射をしてもらったそうです。注射が済んで間もなく気分が悪くなり、突然の激しいめまいに続いて、視界が一気に真っ暗になったそうです。

「実際、息ができなくなった。そのまま転倒したが、その時に見た自分の指のチアノーゼ(血液中の酸素が欠乏して皮膚が青紫色になる状態)をはっきり覚えている。(中略)地面に吸い込まれるように意識が無くなったのだが、問題はその短い間に味わった何とも言えない恍惚感のことだ。

(中略)かすかに意識が戻りかけた時、おぼろげながら分かったのは、ベッドに寝かされた私の上に馬乗りになって、人工呼吸をしてくれている医師であった。(中略)ただ、人工呼吸をやってもらうのがこの上なく楽だ。無性にありがたかった。少しでも手を休まれると途端に息が苦しくなるので、《どうかそのまま続けて》と言いたいのだか声が出ない。回りの人々の声は聞こえる。『これはもう駄目だな』という溜息まじりの声も聞こえた。《いや、もう意識が戻ったのだ》医師や看護師に伝えたいのだが、声はおろか指一本、体の一部さえ動かすことができない。(中略)そして、突然、《助かったのだ!》という喜びと実感が、現身の中にこみあげてきたのである。私は渾身の力をふりしぼって眼を開いた。

(中略)このことは、その後の私の医者修行にとって大きな啓示となった。昏睡状態の患者に対しても大きな声で励ましの言葉をかけ、手を握りしめ、安心感を与えることがいかに大切かの確信が持てたからである。私の体験からも、聴覚、触覚、圧覚の刺激は、昏睡の脳にもその衝撃は伝わる。それを知覚できる可能性も絶たれてはいない。ただ、外から認知できるような反応を患者が表出できないだけの意識障害かも知れないということである」

ここで彼は重要なことを語っています。彼の体験談は、死の淵でとどまって帰ってきているわけですから、死ではありません。しかし、この話は臨死体験者や意識不明とされていた方々と全く同じなのです。語りかけても応答はできませんが、故人の生前の徳に感謝し、死を悼んでいることは伝わるのですから、安らかな死を迎えさせてあげる為に遺体をモノ扱いする直葬など、すべきではありません。
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