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人間は皆、幸福を求めて生活しています。幸福を願わない人は、誰一人としていません。

では、貴方にとっての幸福とは、どういうものでしょうか?。

一般論で言えば、いつまでも若くて健康な日々が過ごせ、欲しい物が手に入る、豊かな生活ができれば、幸福と言えるのではないでしょうか?。ところが、人ひとりひとりの幸福感となると、これはかなり異なります。

他人から見れば、立派な家に住み、社会的にも恵まれ、裕福で何不自由無いようでも、他人には言えないような悩みを持ち、少しも幸福感を味わっていない人もいますし、逆に経済的には恵まれず、社会的地位も高くないのに、幸福感を満喫している人もいます。

アメリカの有名な宗教教育者であるウイリアム・ジェームズは、

「幸福感とは、世俗的成功を欲望でもって割った値である」

と言っています。つまり、これを方程式にすると

   

と、いうことになります。

この時、欲望に対して、所得がどのような比率であるかによって、幸福感が決まるというのです。

たとえば、欲望が10で、所得も10であれば、これは普通の生活です。ところが、欲望が10であるのに対し、所得が20であれば、この人は普通の2倍の満足感を味わっていることになります。しかし、逆に欲望が20で、所得が10であった場合には、普通の人の半分しか満足感がない、不満な状態と言えます。

そこで、欲望に対して、いかに所得を多くするかが、私たちの幸福への道だと、考えられてきました。事実、文明社会はこの方程式によく応えてきました。

何とかして、経済的に豊かになりたいという欲望を満たすために、必死に働いて今日の豊かな状態を築きました。子供を死なせたくない、両親を少しでも長生きさせたいという欲望を満たすために、医療技術はめざましく進歩しました。

他方、危険を感じる国に対しては、一発でその国を全滅させることができるほどの兵器が作られました。また、自然破壊・公害・地球温暖化などの諸問題も、発生しています。人類の危機が叫ばれています。

なぜ、このような事態になったのでしょうか?。

一言で言えば、人間の欲望が増え過ぎて、地球全体の所得を越えてしまったからなのです。

文明社会においては、欲望に対し、所得を多くすることによって、幸福を実感しようとする傾向が顕著(けんちょ)でした。ところが、欲望というものは、一旦満たされても、所得に比例して増大するものなのです。

たとえば、欲望が10で所得が20になれば、一旦は満足するわけですが、すぐに欲望も20になって、それが当たり前の生活になってしまうと、今度は所得を40にしたくなります。

この欲望こそが、苦しみ迷う根本の原因だと、釈尊(しゃくそん)は説いています。

「身分の高下(こうげ)にかかわらず、富の多少にかかわらず、すべて皆 金銭のことだけに苦しむ。無ければ無いで苦しみ、有れば有るで苦しみ、ひたすら欲のために心を使って、安らかな時が無い。

富める人は、田が有れば田を憂い、家が有れば家を憂い、存在するもの全てに執着(しゅうじゃく)して
憂いを重ねる。貧しい人は、常に足らないことに苦しみ、家を欲しがり、田を欲しがり、
欲しい欲しいの思いに焼かれて、身心(しんしん)ともに疲れ果ててしまう」 『無量寿経下巻』

ウイリアム・ジェームズが言うように、幸福感が所得と欲望の比率の問題であるならば、文明社会の歩んで来た方向とは逆の方向も、成り立つことになります。

つまり、文明社会では、ひたすら所得を増やして幸福を得ようとしてきたわけですが、逆に欲望を減らすことによっても、幸福感が得られるようになるのです。たとえば、欲望が10で所得も10ならば、それは普通の生活ですが、欲望を5に減らせば、そのままの状態で、普通の2倍の満足感を味わうことができるのです。

所得を増やそうと、外にばかり眼(まなこ)を向けていると、常に<足らない足らない>の連続ですが、無い物はたくさんあっても、内に眼(まなこ)を向け、<今現在自分に与えられている物だけでも、ありがたい!>と思える人は、幸せを実感できるのです。これが、『少欲知足(しょうよくちそく)』の教えです。
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