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釈尊が、拘薩羅(コーサラ)国の波斯匿(ハシノク)王に対して示された意味深い話が、『譬喩経』に伝えられています。

一人の旅人が、果てしない荒野をさまよっていました。ところがその時、一頭の狂った象に出会いました。旅人は驚いて、どこかに隠れようとしましたが、適当な所もありません。やっと、空井戸があるのを見つけて駆け寄ると、幸いにもその入口に大きな藤づるが垂れ下がっていました。旅人は、早速それにつかまって、井戸の中に下りていきました。まもなく狂象がやって来て、井戸をのぞき恐ろしい声で唸りたてましたが、どうすることもできません。旅人は、やれやれこれでひとまず危難は逃れたと、一息つきました。

しかし、よく見ると、その井戸の底には一匹の恐ろしい毒龍がトグロを巻き、大きな口を開けて見上げておりました。旅人は、驚いて下りるのをやめ、途中で止まりました。かといって、いつまでも藤づるだけにつかまってもいられないので、井戸の壁に足を掛けようとすると、その四隅には1匹ずつ毒蛇が絡まっていて、牙をむいていました。旅人は、おののきながら、今はもうこの藤づるだけが命の綱だと、懸命にぶら下がっていました。

ところが、ふと見上げると、自分がつかまっている藤づるの根を、どこからやってきたのか黒と白のネズミが、代わる代わるにかじり始めました。藤づるの根をかじられては、このまま毒龍の口の中に落ちていかねばならず、恐怖にかられた旅人は、なんとか黒と白の2匹のネズミを追い払おうと、藤づるを左右に揺り動かしました。すると、今までは気づかなかったのですが、つるの根元に蜜蜂が巣を作っていて、藤づるが揺れるにつれて、ポトリポトリと蜂蜜がこぼれ落ち、それが旅人の口の中に入りました。この蜜のしたたりに美味を感じた旅人は、もはやそれらの恐怖や危難を忘れてしまい、少しでも多くの蜜を口に入れようと、頻りに動き始めました。なんと、愚かなことでしょうか。

釈尊は、この話の後に解説を加えられています。

すなわち、一人の旅人が荒野をさまよっているというのは、私たちが独りぼっちの人生を右往左往しながら生きていることを指しています。狂象に襲われるというのは、私たちの命が、いつどうなるかもわからない無常であることを表しており、空井戸とは、私たちの煩悩による迷いを譬えたものです。

また、井戸の底にいる毒龍とは、私たちが背負っている死の影を表しており、四隅にいる毒蛇とは、私たちの体を形作っている地(堅さ)、水(湿気)、火(温かさ)、風(動き)の四大、すなわち私たちの肉体性・精神性を意味し、それらは私たちの煩悩・我執を生み出すことから毒蛇に譬えられるのです。そして旅人がつかまっている藤づるとは、私たちのかけがえのない命を表し、黒と白のネズミとは、昼と夜とが交互に繰り返されて、自分の命が次第に消滅していくことを表し、蜂蜜は、私たちが日々求めてやまないさまざまな欲望・享楽を象徴しています。

この話は、ロシアの文豪トルストイも、読んで深い感銘を受けたといいます。

まさに、私たちの生活は、こうしたものではありませんか。寿命が、いつ終わるのかもしれないのに、日々湧き起こる、さまざまな煩悩・我執に追い立てられ、他の人と競って一喜一憂しながら、あくせくと生きています。かくして、私たちの寿命はいささかも止まること無く、確実に死に向かって進んでいくのです。しかしながら、この1回限りの人生を生きるにあたって、私たちはもっと大切なものを、本当の幸福を得るための道を、しっかりと見定めて生きていかねばなりません。

現代人の生き方は、もっぱら現実主義的・刹那主義的で、自分の人生の全体を考えることが少ないようですが、私たちが生きるについては、過去を反省し、現在を凝視し、未来を慮ること無くして、真の人生を全うすることはできません。ここでは、私たちがのがれ難い死の淵に臨みながら、その死と背中合わせに生きているということを、深く自覚し、自戒しつつ生きなくてはならない!ということを説いているのです。

釈尊はこの話を通して、人間の真の生き方について示されたのです。
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