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他人を指して「あの人は堅い人だ」という場合があります。「道理を重んじる」「筋道を通す」という意味でも使いますが、「融通が利かない」という意味でも使われます。では、「融通が利く」というのは良いのかというと、「融通が利く」は 「いい加減」にも繋がるので、末端(の立場)ならともかく組織の責任ある立場の人が「いい加減」では、進む方向を見失います。

しかし、「あの人は柔らかい人だ」という表現は、ほとんど聞きません。

仏法には、柔軟という言葉があります。菩薩の誓いに、

「もし私が『仏』になる時に、人々がこの『仏』の光明(智慧)にあって、身も心も柔軟にならなかったならば、私は『仏』にならない」

というものがあります。つまり、柔軟な心の状態に人々を導きたいというのが、菩薩の願いなのです。また、経典には

「この光明にあう者は、三つの垢が消失して身意柔軟である」

ともあります。

三つの垢とは、三毒(貪欲(とんよく)・瞋恚(しんい)・愚痴)のことを指しています。

《貪欲》とは貪(むさぼ)りの心であり、《瞋恚》とは怒りの心であり、《愚痴》とは道理に暗い愚かな心です。

貪りの心には限りがありません。求め出したら、いつまでたっても満たされることは無いのです。怒りには、〈瞋〉と〈忿〉の二種類があると言います。〈瞋〉は、表面に現われる怒りであり、〈忿〉は心の怒り、内面の怒りであると言います。そして、《愚痴》は物事の道理に暗い愚かな心であると言います。自分の思いが通らないと、それだけで破綻してしまうのが私たちの心です。

私たちは、何でも自分の思い通りにしたい、何でも手に入れたい、これが《貪欲》です。それが果たされないと、たちまち怒りの炎に包まれて自己を見失う、これが《瞋恚》、全てのものはたゆまなく変化しているのであって、何一つ自分の思うままにはならない、という道理に暗い人間の姿を《愚痴》と呼ぶのです。愚かさが貪りを生み、貪りが怒りを呼ぶのです。

したがって、ものの道理である「法」(普遍の真理)を身につけることによって、安穏な境地に至れるのです。

以前、長年にわたって近くの警察署が無料で開いている柔道教室で習っていた方が言われた話です。

まず最初に教えられたことは、体を柔らかくすることでした。これは、すべてのスポーツに共通する基本です。体が柔らかくないと大怪我をすることになります。来る日も来る日も受け身の練習ばかりで、気持ちが萎えてしまいそうでした。しかし、この受け身が身についていないと、試合中に亡くなることもあって、非常に危険なのです。毎日投げられてばかりで、投げることなど一向に教えてくれないので、多くの仲間は辞めてしまいました。それでも私は月謝がタダなので、受け身の練習を続けていくうちに、この繰り返しが相手を投げる技につながっていくことに気づいたと言うのです。

大切なのは、この受け身なのです。私たちの人生においても、この受け身が大切なのです。

私は忙しいから、暇がないから、まだ若いから、などと言っても、命の問題は待った無しに襲いかかってくるのです。生・老・病・死の四苦の問題、出会いは別れを伴うこと、嫌な人とも顔を合わさなくてはならないこと、欲しいもの(健康・若さ・名誉・地位・財産等)も思い通りにはならないこと、肉体が燃え盛って落ち着かないこと、これらの事実は避けて通れません。こうしたことをしっかりと覚っておく、ということが生きていく上での受け身なのではないでしょうか。

『無量寿経下巻』に

身分の高下にかかわらず、富の多少にかかわらず、すべて皆金銭のことだけに苦しむ。無ければ無いで苦しみ、有れば有るで苦しみ、ひたすらに欲のために心を使って、安らかな時が無い。富める人は、田があれば田を憂い、家があれば家を憂い、すべて存在するものに執着して憂いを重ねる。あるいは災いにあい、困難に出会い、奪われ焼かれてなくなると、苦しみ悩んで命までも失うようになる。しかも死への道は一人で歩み、誰もつき従う者はいない。

貧しいものは常に足らないことに苦しみ、家を欲しがり、田を欲しがり、この欲しい欲しいの思いに焼かれて、心身ともに疲れはててしまう。このために命を全うすることができずに中途で死ぬようなこともある。

とあります。

つまり、どんな人も欲に振り回されて、欲しい欲しいの連続だというのです。ある人が、「現代はもっとの二乗の時代だ」と言われたが、その通りかも知れません。何のためにそれが欲しいのかなどとは考えず、とにかくやたらと欲しがる傾向があります。

しかも、それらのものを手に入れるとその時は一時的に満足感がありますが、それもすぐに消え失せてしまい、また次のものを欲しがるのです。まさに《欲望の無限連鎖》です。

そうなってしまうのは、「すべてのものは流動変化しているのであって、何ひとつとして自分の思うままにはならない」という道理に暗いからなのです。この道理に暗い人間の姿を《愚痴》というのです。

『無量寿経下巻』の「無ければ無いで苦しみ、有れば有るで苦しむ」というのは真理です。

私たちは、〈ものは無いより有った方が良いに決まっている〉と考えがちですが、本当にそうでしょうか?。たしかに、無いと不安になり、手に入れようと必死になります。これは無いがゆえの苦しみです。

では、あれば満足して充足感があるだろうかというと、これがそうでもないのです。今度は「これを維持していかねばならない」という苦しみが生じるのです。子供がいない人は、せめて一人でもいてくれたらと思うし、子宝に恵まれた人は、いない方が気楽だと思うものです。自分に該当しない方は良く見える、それだけのことなのです。

欲にとらわれると心は硬くなり、柔軟ではなくなります。縁があれば授かれるし、ご縁が無ければ仕方がない、という柔軟な心で過ごせるようになると、自ら和顔となり、愛語を紡ぎ出せるようになるのです。
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