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鉢かづき姫は、古典の「お伽草子」の話の一つです。「かづき」は「頭にかぶる」という意味の古語「かづく」(被く)の活用形であり、現代語の「かつぐ」(担ぐ)の活用形ではありません。場合によっては現代語に訳して、鉢かぶり姫としているものもあります。

この話は河内国寝屋川に伝わる民話で、「寝屋の長者」と呼ばれていた家の話です。長者の屋敷は、東西十二町・南北四町・田畑は一千二百余町もあり、それはとても立派なものでした。この屋敷は備中守藤原実高のものであり、その妻は摂津国鳴海の里の芦屋長太夫の娘の照見といい、十六才でこの家に嫁いできたのです。

夫婦仲は大変良く幸せな毎日を過ごしていましたが、どうしたわけか子どもに恵まれませんでした。大和国初瀬寺(長谷寺)の観音さまにお参りを続けていたある夜、枕元に観音さまが現われ、女の子を授けるが鉢を被せるように告げられた所で目が覚め、目の前にはお告げ通りに鉢がありました。

それからしばらくして奥方照見の方はお告げ通りに女の子を授かり、名前を「初瀬」と名付けて大切に育てました。

ところが初瀬姫が十四才になった時、照見の方が病に臥せるようになります。初瀬寺(長谷寺)の観音さまにお参りを続け、母の病気平癒を願いますがなかなか良くなりません。やがて母照見の方が死を迎える前に初瀬姫を枕元に呼び寄せ、観音さまのお告げの通りに鉢を被せ、静かに息を引き取ります。

備中守藤原実高も初瀬姫も寂しく過ごしますが、実高が後妻に浅路という女性を迎えます。彼女は器量は良いのですが、実高との間に娘が生まれると初瀬姫を苛めるようになり、遂には初瀬姫を屋敷から追い出してしまいます。

屋敷から追い出された初瀬姫は行くあても無く歩き続けていると、大きな川の堤に出ます。亡き母のもとに行こうと川に身を投ずるのですが、なぜか鉢を被った首から上は沈みません。

気を取り直して足の向くままに歩いていると、道を通る人々は初瀬姫の鉢かづきの姿に驚き、逃げて行きます。そんな時、たまたま山陰三位中将に助けられ、湯殿番として働くことになります。幼い頃から下働きなどしたことの無かった初瀬姫ですが、彼女は一所懸命に働きました。

そんなある日、山陰三位中将の四男の宰相から声を掛けられます。当時、まだ独身だった宰相は心優しい人で、初瀬姫と次第にひかれ合うようになりました。しかし、鉢を被ったみすぼらしい姿の姫に兄や兄嫁たちから猛反対にあい、「嫁くらべをして、勝てば二人の結婚を認めよう」と言われます。宰相は引き下がるわけにもいかず、了承してしまいます。

けれども、嫁くらべの日まで幾日も無く、二人は覚悟を決めてこっそり屋敷を出ようとします。
すると、それまでいくらやっても取れなかった姫の鉢が頭からポロリと落ちました。すると、その鉢からは驚くばかりの宝物が現われ、早速身支度を調えた姫は嫁くらべに臨みました。しかし、姫には琴を弾いても歌を詠んでも文字を書いても、誰一人としてかなう者はいませんでした。

二人は幸せに暮らしたというのですが、一方で初瀬姫を見捨てた父はすっかり落ちぶれて出家の身となり後悔の日々を送っていたのですが、偶然にも娘と再会し共に暮らすことができた、というお話です。

この主人公の初瀬姫は、最愛の母の最期の言いつけとはいえ、大きな鉢を被せられたが為にさまざまな憂き目に遭うことになってしまいました。しかし、苦しみの元凶だと思っていた鉢の存在によって、不思議な人生の道が開かれていくところがこの物語の魅力なのです。

自分の背負っている苦しみだけを見ていると、「これさえ無ければ--」とそれがすべてを狂わせている諸悪の根源のように考えてしまいがちですが、思わぬ場面でそれが手助けになることもあります。鉢かづき姫の話は、まさにその通りです。

「隣の芝生は青い」とか「隣の花は赤い」などと言われるように、余所は良く見えるものなのです。「もっとお金があれば」「裕福だったら」などとも思いやすいですが、豊かな人が必ずしも幸せとは限りません。「結婚して家族が増えれば」と思われる方もいれば、「独身の方が気楽だ」と思う方もいます。人は皆、形は違えども何らかの苦しみを背負って生きています。

鉢かづき姫の話は、自分が抱えている苦しみから逃れようとするよりも、その苦しみを自分のものとして受け入れた時にその苦しみから解放されるということを示唆しているように思われます。
鉢かづき姫の鉢が外れた瞬間というのも、自分が被ってきた鉢をそのまま受け入れた時だったのだと解釈できます。

チャップリンは「人生はクローズアップで見ると悲劇だが、ロングショットで見ると喜劇だ」という言葉を残しています。彼の映画に登場する主人公は、大概が貧しくてドジで運が悪い人です。
もしも本当にそんな人が居たならば、ほとんどの人がそうはなりたくないと思うような悲劇の主人公です。でも、映画の中ではそうした人物の生きる姿がユーモラスに描かれ、魅力的に見えます。
チャップリン自身も、貧困で苦労の多い幼少期を過ごしたそうですが、彼が演じ続けた映画作品は自分の経験そのものをロングショットで描いたものなのではないかと思われます。

人の心は、花の如く移り変わるものですが、その無常さは嘆くことばかりではありません。心の持ち方が変わることで、それまでの苦しみに対する見え方が逆転し「あのせいで」と思っていたのが「あのおかげで」と思えることも、多々あります。
人生、今の状況だけで判断するだけでなく、如何ともし難い時は待ってみるのも一手です。
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