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 そもそも【お経】というのは、どういうものなのか?。これは、多くの方が疑問に思いながらも、なかなか聞き出せずにいることと思います。

 【お経】は、釈尊(BC566〜BC486)が在世中に、苦しみ悩んでいる人々に対して説かれた、教えの内容を書き留めたものなのです。ただし、この【お経】を書いたのは釈尊ではありません。当時、文字は公文書や商業貿易などの実用方面だけに使用され、宗教や哲学などの神聖な文献は筆録されることなく、すべて記憶によって保持され、口から耳への口誦(こうしょう)(口授/くじゅ)伝承によるのがインド古来の風習でした。

 【お経】ができたのは、釈尊が涅槃(ねはん)に入られた直後にマガダ国の首都である王舎城(Rajagaha/ラージャガハ)外の七葉窟(しちようくつ)において、釈尊の遺弟(いてい)中で最も優れた500人の阿羅漢(あらかん)によって、釈尊の説いた「法と律」が集められた、いわゆる第一結集(だいいちけつじゅう/王舎城結集)においてです。結集(sangiti)というのは「合誦(がっしょう)」の意で、集まった阿羅漢たちが自分が聞いた経や律を誦出(じゅしゅつ)して、それが釈尊の説いたものに相違ないことを確かめ、《仏陀の教え》として確定することを目的とした、仏教編集会議のことです。
 ※ 阿羅漢 … 悟りを得た他からの供養や尊敬を受ける資格のある人
 ※ 経 … 釈尊の説法
 ※ 律 … 釈尊の定めた戒律規定
 第一結集(王舎城結集)においては、釈尊の弟子の中で最も長老の摩訶迦葉(まかかしょう/Mahakassapa)が座長となり、多聞(たもん)第一の阿難(あなん/Ananda)が経を誦出し、持律(じりつ)第一の優波離(うばり/Upali)が律を誦出しました。
 第一結集には、摩訶迦葉によって500人の阿羅漢が集められたのだが、阿難は釈尊の入滅時には、まだ阿羅漢の悟りを得ていなかった。しかし、彼は釈尊の従弟(いとこ)で釈尊に対して従順でよく仕え、釈尊の最後の25年間は常に釈尊の傍にいて離れず、その間の説法もすべて聞き覚えていたし、彼が随時する前の説法も他の弟子から聞いて知っていた。つまり、釈尊の生涯の説法を一番よく記憶している弟子であったので、彼を加えないでは釈尊の教えをすべて集めることは不可能であった。
 そこで、摩訶迦葉は阿難を焦らせた。阿難は、「結集が始まるまでに阿羅漢の悟りを得なければ……」と修行に励んだのであるが、どうしても目的を達することができず、いよいよ明日から結集という前夜も得るところが無く、仕方なく床に就こうとして、身を横たえたと同時に悟ったと伝えられている。

 結集が始まると、阿難は釈尊の法座につき仏陀の説法を誦出し、それに他の阿羅漢が賛意を表するというようにして、釈尊一代の説法が経として集められ確定した。

 優波離は、もとは釈迦族に仕えていた奴隷の散髪屋であった。彼は、阿難・阿那律(あなりつ)・堤婆達多(だいばだった)などの釈迦族の青年が仏教に出家すると聞き、自分も出家したいと釈尊に願い出た。すると釈尊は、彼の主人の釈迦族の青年たちよりも一足先に、彼を出家受戒(じゅかい)させた。仏教の教団では修行者の席次は、出家受戒の時間的序列に依る。その為、優波離は、教団内では釈迦族の青年たちよりも上席におかれた。釈尊がそうしたのは釈迦族の青年たちの驕慢(きょうまん)心を取り除く為である。

 優波離は、戒律について特に興味をもち、釈尊が教団のために定めた戒律規定は細大漏らさず憶持(おくじ)し、仏弟子中で持律第一として自他ともに認められていた。したがって、戒律については優波離が誦出し、他の阿羅漢がこれに賛同する形で確定されていった。
 【お経】は釈尊の説法をまとめたものなのであり、当然それは生きている人々を対象に人と場所に応じて説いたものなのです。つまり、生きている人々に対して、正しいものの見方、正しい生き方といった、あるべき方向を示したものなのです。ですから、法事等の際に【お経】を読むのは、死者のみならず生きている人々をも対象として、邪念を払い真理に目覚めるように行っていることなのです。ゆえに理想を言えば、みんなが【お経】の内容を理解し、生活の中で生かすことができれば、それが一番良いわけなのです。

 ところが、とかく【お経】は難しく感じられてしまうのです。「あの漢字が羅列されているのを見ると……」と言う方も、少なくありません。ですが、もともとは【お経】は難しいものではなかったし、わかりにくいものでもなかったのです。釈尊は、一人でも多くの人にその教えが理解できるように、多くの比喩を用いて平易に説かれています。しかも、阿難が誦出してできた経典は、インドで使われているサンスクリット語やパーリ語で書かれていたのです。それを現地の人が読むのですから、何も難しいことはありません。それが時代が下り、チベットや中国で翻訳され、その翻訳経典がそのまま日本に入ってきたわけなのです。そうなると、もう読む人の国の言葉では無いわけですから「何のこっちゃ、サッパリわからへん」となるわけです。
 そこで必要になってくることが【法話】です。釈尊の教えを皆様にわかりやすく説くためには、不可欠なのです。もともと釈尊が教えを説いた対象は、生きている人間だったわけですから、本来は【お経】を皆様の方へ向かって読めばそれで良いわけなのです。しかし、【お経】の文句は日本の言葉ではないので、【お経】をお聞きになられても、それだけでは意味が御理解戴けないのです。そこで、釈尊の教えを少しでも御理解戴くためには【法話】が必要なのです。
 それでは、その「何のこっちゃ、サッパリわからへん【お経】をなぜ読むのか?」ということなのですが、これはもしかしたら地獄や餓鬼などの苦しみの世界へ生まれ変わったかもしれない自分の両親や祖父母あるいは兄弟などのために、【お経】を読んだ功徳(くどく)を振り向けて救ってほしいと願って行なうことなのです。これを【回向(えこう)】といいます。【回向(えこう)】というのはサンスクリット語のparinama(バリナーマ)の訳語で、供養・読経・念仏・布施などの功徳を亡者に振り向けて成仏せしめんとすることを指します。ゆえに、振り向ける功徳は大きいほど良いわけですから、親戚・縁者に集まってもらって一緒に読経し、その功徳によって亡者がより救われるように願うわけなのです。

 どんなに出世した人でも、自分一人でそこまでになった人はありません。両親は勿論、祖父母やもっと古い先祖の残したもののお蔭で現在の自分があるわけですし、親戚・縁者の御恩も被っています。ならば、その御恩に報いるのが人の道ではありませんか。つまり、報恩謝徳(ほうおんしゃとく)の行として、読経し回向(えこう)するのです。
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