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汚れがない清らかな行為を「善」、もしくは「善根」と言います。汚れがないというのは、邪な心を持ったり計算づくではないということです。

私たち凡夫は、他人に何かをすると、すぐその行為に捉われる傾向があります。「私は誰それさんにこんなにした」「あんなにしてあげた」と言い、「お礼もろくに言わない」とか「もう少し感謝されないとわりに合わない」「非常識だ」などと批判します。しかし、そう思った時点で既にその行いは「善根」でなくなってしまったのです。そういう邪念を超えた領域でなされるのが「善根」だからです。

私たち凡夫は、自分でしたことに捉われて有頂天になったり、逆に他人にしてもらったことに捉われて卑屈になったりしやすいものですが、それは誤りなのです。

江戸時代に活躍した禅僧に、仙厓義梵(せんがいぎぼん 1750~1837)という和尚がいます。この和尚が美濃の清泰寺(せいたいじ)の住職をしていた頃、時の藩主は金森美濃守でしたが、藩政は乱脈を極めていました。そこで藩主は、家老を更迭して刷新を図りましたが、全く政道は改まる様子がありませんでした。それを見ていた仙厓和尚が、

良かろうと 思うよ家老が 悪かろう
元の家老が やはり良かろう


という狂歌を詠みました。

ところが、これが件の悪家老の耳に入った為、傘一本国外追放の厳罰を課せられました。しかし、当の仙厓和尚は全く動ぜず、使いの役人を前に

傘(からかさ)を広げて見れば 天が下
たとえ降るとも 蓑(美濃) は頼まじ


とさらに狂歌一首を詠んで飄然と美濃国を出ましたが、以後一度も美濃には帰らなかったそうです。

この仙厓和尚は人からお布施を受けても、また親切にしてもらっても、ただ黙って低頭するのみでお礼を言わない人でした。(それが禅宗の作法なのですが…)

ある雨の日、仙厓和尚が博多の崇福寺(そうふくじ)に近い街中で、下駄の鼻緒が切れて困っていると近所の豆腐屋の女房が見つけて気の毒に思い、仙厓和尚の所へ行って、鼻緒をすげ替えてくれました。しかし、仙厓さんは少しもお礼を言わず、ただ黙って低頭して帰りました。その後、その女房が仙厓さんに会っても、やはりお礼を言わないのでムッとした女房が、

「仙厓さんは偉い方だと皆が言うけれども、ちっとも偉くはない。雨の日に、仙厓さんが下駄の鼻緒を切って困っておいでたから私がすげ替えてあげたのに、一言もお礼を言わない。あんな礼儀知らずの坊主ったら、ありゃしない」

と言ったので、それを聞いた人が寺に行った際に仙厓さんにそのことを告げると、

「お礼を言やぁ、それで済むのかい。わしは一生忘れんつもりじゃったに」

と答えたそうです。

また、博多の米屋で太田忠右衛門という、変わった人がいました。

ある日、仙厓さんに使いの者をやって

「お粗末な麦飯のお斎(とき)を差し上げたい」

と伝えたら、麦飯が大好きな仙厓さんは、〈おおかた芋掛けであろう〉と気軽に出かけて来ました。すると、飯櫃(めしびつ)に麦飯が山盛りにある以外は沢庵一切れも無いのを見て〈隠居め、一杯食わせたな〉と思ったが、何も言わずにムシャムシャ頬張り、やがて膨れた腹を擦りながらウンともスンとも言わず帰ろうとしました。

それを見た忠右衛門が、

「和尚、人のご馳走をしこたま食って、お礼も言わずに帰るというのは、出家の道でござるか?」

と目を吊り上げて言うと、すかさず仙厓さんは

「わしは、麦飯はよばれに来たが、お礼を言いに来てくれとは頼まれぬわい」

と、忠右衛門の賓頭盧頭(びんずるあたま)をツルリと撫でて、振り向きもせずに帰りました。

〈くそっ、いまいましい、折角の苦心も裏をかかれた。あげくの果てにわしの頭をツルリとは、馬鹿にするにもほどがある。何とかこの仇を討つ方法はないものか?〉と、忠右衛門が考え込んでいる所へ、夕立に出くわした仙厓さんが、素足のまま裳裾を高く絞り上げて駆け込んで来ました。

「傘と下駄を貸してくれ」

と仙厓さんが言うので、丁寧に傘と下駄を差し出しました。これなら、きっとお礼を言うに違いないと思いきや、お礼も言わずにスタスタ帰ってしまいました。間もなく、小僧が借りた傘と下駄を返しに来ましたが、この小僧も和尚と同じでお礼を言いませんでした。

数日して、仙厓さんが立ち寄ったので

「先日は、雨でお困りでしたでしょう」

と導火線に火をつけたら、仙厓さんが

「やぁ、困ったわい。傘と下駄は小僧に持たせたが…」

「いや、たしかに届きました。ご丁寧に。へい」

忠右衛門、気がついたら逆さまにお礼を言っていました。仙厓さんはニコニコしているので我慢できなくなった忠右衛門が、

「和尚さんも強情だ。一言ぐらいお礼を言ったらどうです」

と言うと、仙厓さんは静かに

「礼を言うと、帳面から消えてしまうぞ。わしは口では言わぬ代わりに、心では常に思うておる。人に親切を尽くして礼を予期するなどは、本当の親切ではない」

と、懇々と陰徳の大切さを訓戒されたとのことです。

もしも、貸した(あるいは施した)側が、礼を言わなければ承知が悪いと思ったならば、それは善でもなく徳でもなくなってしまうのです。古来、《あらゆる善根は、慈悲を根本と為す》と言われる通り、そこには慈悲の心が欠けているからです。

【慈】は【智】とともに仏道の根本です。『観無量寿経』には、「仏心とは、大いなる慈悲の心である。分け隔てない慈しみをもって、すべての生きとし生けるものを救いとる心である」

と示されています。【慈】は慈しみ、他を救う心です。他の幸せに尽くす心や働きを【仏心】と言います。しかし、この【慈】は正しいものごとの認識である【智慧】に基づかなければ、偏ったものとなってしまいます。

【慈悲】とは、大きな度量の中で行われ、他人に利益(幸せ)や安らぎを与えるものであり、他人の苦しみを取り除く心や働きのことです。「善根」は、汚れのない清らかな心でなされなくてはならず、汚れのない清らかな行為は人を幸せにする行為ですから、《抜苦与楽》(苦しみを取り除き、安らぎを与える)につながるのです。
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