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お盆は、正しくは【孟蘭盆(うらぼん)】と言います。【孟蘭盆】という語は、サンスクリット語のullambanaの音写で、《倒に懸けられた苦しみ》という意味です。つまり、《何の因果か受けるはめになった苦しみ》という意味であり、この苦しみから先祖を救わんとして営まれる供養の行事を【孟蘭盆会(うらぼんえ)】と言います。

【孟蘭盆】の由来を説く『孟蘭盆経』によれば、釈尊の十大弟子の一人である目連(目犍連)の生母が、生前の罪業によって死後に餓鬼道に落ちて食を得られず、日夜苦しんで骨ばかりに痩せこけていたとあります。それを、目連は天眼通(神通力)を得ていたために知り、食べ物を供養するのですが、すべて炎となってしまい、母には届きません。飢えた母の苦しみをどうすることもできない目連は、釈尊に「どうしたら母をあの苦しみから救ってあげられるでしょう?」と問うわけです。

すると釈尊は、「悪業の報いは、どんなに孝心があっても一人では到底取り除けるものではない」と言い、「夏安居の解制の日である七月十五日(旧暦)に衆僧に百味の飲食を供養し、餓鬼の為に盛大な施餓鬼会を催せば、その功徳によって七世の父母の餓鬼界における苦しみ、及び次世の父母の苦悩が除かれる」と説きました。

そこで、目連は釈尊の言われた通りに供養し、彼の母は勿論、七世の父母が餓鬼の苦しみから救われたというのです。この故事により、【孟蘭盆会】がインドに起こり、中国では梁武帝大同四年(五三八)、日本では斉明天皇三年(六五七)に初めて行われました。殊に日本では、祖先崇拝の民族的性情に合致し、彼岸会と共に定着しています。

注:前述のように【孟蘭盆】は『孟蘭盆経』に由来して行われるものであり、これを行うことによって餓鬼道から救われるというものですから、輪廻の思想に基づく仏教独自のものなのです。にもかかわらず、明治以降に発生した新興宗教においては、輪廻の思想が無いのに仏教の【孟蘭盆】の真似事を行っているところがあり、猿真似と言わざるを得ません。

【孟蘭盆】は、餓鬼道に落ちて苦しむ霊のために各種の食べ物を施し、救われるように祈願する行事です。したがって、茶湯・霊供膳・菓子・果物は勿論、野菜から乾物に至るまで、多種多様のお供えを用意します。昔は、これらのお供えを、竹で組んだ施餓鬼棚を庭に作り、その上に供えて読経しました。しかし、時代と共に庭付きの大きな家は減り、アパートやマンションができたこともあって、屋外で行っていた【孟蘭盆会】が、屋内で行われるようになったのです。ですから、もともと電気の飾りなどは無かったのであり、遠州地方に見られる電飾の盆飾りは、全く無意味なのです。
*遠州の二度葬式と笑われている

【孟蘭盆】には、満中陰(四十九日忌)で旅立った先祖の霊が、冥土から供養の施しを受けに帰ってくるとされています。満中陰(四十九日忌)に、墓地に納骨して冥土に送り出したのですから、今度は墓地から迎えなければなりません。つまり、墓地があの世とこの世の玄関口なわけです。したがって、【孟蘭盆】の十三日の夕方に、墓地で迎え火を焚き、その火を提灯で持ち帰って、門先の松明に移し、順に送って施餓鬼棚(盆飾り)の蝋燭に着火して、無事に墓地から迎えたことになるとするのが、古来の迎え火の仕方です。

墓地と自宅が離れている場合には、墓地から火を持って帰ってこられない為、自宅の門先からだけしか、行っていないところもあります。しかし、十三日の夕方に自宅で迎え火を焚いたにもかかわらず、十四日に墓地で火を焚くのはおかしい。迎え火を焚いた後の墓地は、留守なのですから----。また、地域によっては真っ昼間に迎え火・送り火をやっているところがありますが、餓鬼の霊は陽が沈まないと出てこれないとされていますので、真っ昼間では意味が無く、単なる自己満足でしかありません。供養は霊のために行うのであって、臨席者のためではないことをお忘れなく!

また、茅で編んだ筏の上に、馬と牛を作っておきます。通常、馬は胡瓜で、牛は茄子で作り、それぞれに目(小豆)・耳(南天の葉)・足(麻殻)・尾(玉蜀黍の毛)を付け、()内の牛の方には更に、角(麻殻の細い部分)・鞍(麻殻の細い部分を短く切ったものを背中に4本刺し、その外周に茹でた素麺を巻いて作る)を付けます。
*材料は例 地域で相違あり

これを、《迎え馬に送り牛》と言います。由来は、迎え火を焚いてあの世から霊が帰ってくる時には、馬に乗って早駆けで来るが、送り火を焚いてあの世へ霊が帰る時には、牛にお供え戴いた品々を乗せて帰るので鞍が要る、とされています。

この《迎え馬に送り牛》の乗った筏を、迎え火を門先で焚く前に門の外に出して置き、施餓鬼棚(盆飾り)の蝋燭に着火したら棚上に置き、送り火の時は逆に門先まで送り出したら門の外に置きます。昔は、この後に川や海に流しに行ったのですが、現在はほとんどの地方で禁じられていますので、翌朝まで門の外に置き、朝日が出たら片付けます。

夜のうちに片付けると、帰る途中に片付けることになってしまうので、芳しくありません。また、門の外と施餓鬼棚の上の両方に、《迎え馬に送り牛》の乗った筏を置くところもありますが、本来は同じ《迎え馬に送り牛》が冥土から家に帰り、また冥土に戻るのですから、一組の《迎え馬に送り牛》が移動するものであり、二組作る必要はありません。

【孟蘭盆】は、『孟蘭盆経』に由来して行われる仏教独特の行事です。その習俗は地方によってもかなり異なりますが、私たちは徒に簡略化に走ったり、周囲に流されるのではなく、守るべき伝統はきちんと学び、後代に継承していかなくてはなりません。
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